144 チャイコン聴き「ピアノ弾きたい!」 飯森範親 ②

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(144

ヨッサンの司会は落ち着いて、楽しくて、強心臓や‼…とよく言われます。とんでもない間違いで、いつも緊張感が全身に染み渡っているのであります。“爆発⁉”したのが2004年4月15日“いずみホール”でのこと。ステージに出て指揮台近くでマイクに向かって声を発するや…頭はドックンドックンズッキンズッキン、心臓がバクバクバクバク‼ビリビリとひび割れしそうな恐怖に陥ったのです…満員のお客様を前にして。
ここにその日のパンフレットがあります。タイトルが「“対決!2人の指揮者”藤岡幸夫vs飯森範親」コンサート。実はこの日はヨッサンが10年ぶりで人前で喋るお仕事(内緒の副業)だったのです。10年経っても昔の看板(司会の場数がよ~けある)を背負った経験が“だてではないんや”と意気込んだのが間違いやった。

*昔の人はエエこと言いはった…プロ野球打撃の名人・張本勲さん“誰でも安打を打ちたい。しかしそう思えば思うほど緊張感でこちこちになる。私が割り出した割合は、
葉山が立ち会いの極意について
てる”…こうノタマッタ。

さて、コンサートの2カ月前、ヨッサンは和気藹々の雰囲気で指揮者・飯森範親さんにマイクを向けていたのです。
N:飯森範親(のりちか) Y:ヨッサン
範親さんのお祖父さんがチェロを京大のオーケストラで弾いていた(あの朝比奈隆先生がヴァイオリン)。その京大時代に指揮を取っていた名指揮者メッテルが“朝比奈君は指揮者になれ!飯森君は(プロの)チェリストになりなさい”と言われたとか。
N「未だ脳裏に焼き付いて離れない光景があって、僕がゆりかごで寝ている時に、隣で(プロにはならなかったけど)お祖父ちゃんがサン=サーンスの白鳥かドヴォコン(ドヴォルザークのチェロコンチェルト)を子守唄代わりに弾いていたんです」
Y「お父ちゃんお母ちゃんは音楽家ちゃうでしょ?」
N「ないんですけど、父方の親戚に“いずみたく”(夜明けのうた、ゲゲゲの鬼太郎、世界は二人のために、いい湯だな、恋の季節、夜明けのスキャット…などコミックからラブソングまで数々を作った)という作曲家いて、別荘(葉山)に来てはSPの新世界やカルメンなど、あれ聴け!これ聴け!と」いつしかクラシック色に染まった範親少年は…
N「母曰く、ルービンシュタイン(89歳まで現役で活躍した20世紀を代表するピアニスト…95歳で亡くなる彼の90歳の時の名言“私は女性をもっぱら愛しました。綺麗な女性にはいつも興味を持ちました。今でも女性は必要です。愚かな女性でもいいんです。だって、その人は女性なのですから”)の弾くチャイコン(チャイコフスキーのピアノコンチェルト)を僕が聴いて、ピアノが弾きたい!と言ったらしい。
30数年前、ピアノって高いですよね。母がうまいこと手に入れてくれた。で、ピアノを前にルービンシュタインの真似をして弾くんです。チャイコンは変ロ短調ではじまるけど、ピアノの部分は変二長調なんですね。それがね、(手が)小さいから(指が)届かないんです。それでハ長調で弾いてたらしくって…“その頃から結構、耳がよかったのかしらねえ”…って母が言ってました。3歳か4歳ぐらいの話です」

それからの範親少年は音楽家への道をスイスイと登っていったのです…
N「指揮者になったるんや…と気負ったことがないんです。自然にきちゃったんです」
その言葉の響きも自然な余韻が漂っていた。後年…飯森さんのプロフィールに「アルトゥール・ルービンシュタイン・フィルハーモニー管弦楽団首席客演指揮者」のポストが加わっているのです…。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

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飯森範親さん

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