048 「音楽は全ての人が先生」 内田光子②

内田光子さん曰く“ピアノの趣味的な要素を捨てたのは16歳の時です”その16歳に一体何があったのか⁉人生の“たら・れば”をない交ぜにしながら綴っていきましょう。

ヨッサン「お兄さんがピアノをやってなかったら、(内田さんが)ピアノをやってなかったかもしれないですネ⁉」

内田「ありえる、ありえる!それと、12歳の時にウィーンに行ってなかったら、そう!父が外交官でなかったら、人生、全然違ってた。屁理屈こねる子供だったので、ピアノやってなかったら何になってたか分らない。(“きっと、キャリア・ウーマンやで”…とヨッサンのつぶやき)で、16歳の時に、父親について(次の赴任先)ドイツに行っていたら、これまた全然違ってた。その時に、ウィーンに留学生として残りました。それによって自立したいという意欲が燃えたんです。(ドイツに行くか、ウィーンに残るか、どちらにしようか⁉人生の選択)ここまで音楽やってきて、時間食って、自分で好きだと思ってやってるのに…ドイツ行って、高等学校なんぞまともに卒業して、それに並行して趣味のようにやっていく可能性もなきにしもあらず…そんなことするのはアホらしいナ!と思ったんです。それで1人でウィーンに残ったのが16歳。普通の学校はスパッと全部落として(やめて)音大1本に絞りました」

日本では新幹線が開通した頃(1964年)、遥かウィーンでは内田さんはピアニストとしての確固たるレールを敷いていたのでした。

さて、インタビューした1984年から世界に羽ばたき日本人国際派ピアニストとして活躍していた内田さんに、どうしてこんなにピアノ人口が多いのに、何故羽ばたくピアニストが出現するのが少ないのか?ズバリ聞いてみました。

「日本の場合2つあるかもしれません。特に、女性が沢山ピアノをやる(多い)のは、お稽古事が発達した国でしょ。お稽古事は社会的な1つのジャンルになっています。お茶、お華に始まって…その延長上…教養の一部としてピアノをやらせて、お見合いの時に、ピアノっていうのが魅力になる…そんなつもりでやる方がいないとは言えない。男が少ないのは、訳のわからない商売はしないで、きちんと学校に行って大会社に入ってという…親の欲望があるかもしれない…はっきり言っちゃうのは難しいな!もう1つは…」

♬  考え込んだ内田さん“ちょっと(テープ)止めて”と言ってから熟考…。なんと責任感の強い方。「もう1つ、これはちょっと言いすぎかもしれませんけど、日本の場合、特に先生に対する尊敬の念が大変に強いんです。所が、音楽の場合は全ての人が先生になると思うんです。それは全ての過去・現在の演奏家、又は音楽学者。それを1人の先生と言う目前の人に焦点を合わせるのは間違っているんです。(前回、ご紹介した…広く広く音楽は聴かなければならない…に通じる)

日本の場合、先生に口答えすることはいけない社会制度・風土があるでしょ。人から盗んでいけばいいんです。だから教えてもらうって言うのは間違っていると思うのネ‼先生が教えてくれないところは何か⁉(本当は)盗めるだけの内容がある先生についてれば、1番嬉しい訳」

“可愛いナ”“キュートだナ”“くどきたいナ”“けっこういけそうだナ(何がや?)”“恋しそうだナ”…これがヨッサンの“ホの字”(惚れそうになる)“カキクケコ”だけど、内田さんへのインタビュー後の正直な気持ちを“カキクケコ”にしてみると…“賢いナ”“厳しいナ”“口説くなんてもっての外!“軽蔑されるやろナ!アホな話をしたら”“こりゃまいったナ!”(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

048uchida

1984年、インタビューした年に購入した内田光子さんのCDのジャケット

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