050 ヨッサンが大阪弁を伝授したピアニスト 辻井伸行①

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(050

ヨッサンの友達に先天盲(全盲)の落語家・笑福亭伯鶴君がいます。知り合ってもう40年近いお付き合い。彼は20歳の時に(なんともはや無謀にも、全盲のハンディを顧みず)6代目松鶴師匠に入門。…ネタを覚え、仕草を覚え…遂に高座に登ってしまったのだ‼

ある時、“心斎橋にホンマに美味いカレー屋があるデ”と言ったら“教えて欲しい”という。“ええか⁉大丸とそごうの間を東に行く…と大成閣があるねん。(ウン、ウンと頷く伯鶴君…ホンマに分ってるんかいな)そこをもうチョッと歩いたら1つ目の辻を左手に進んで50メートルほど行ったらあるねんデ”“よ~お分りました今度行ってきます”彼には“心眼”があるのか、マラソンにゴルフやボーリングも楽しむという…ホンマにホンマかいな??!(本当です)

さて数年前、青年ピアニストにインタビューすることがありました。生まれながらの全盲だった彼は、お母さんが口ずさむ“ジングルベル”を(玩具のような)ピアノで弾き始めたそうな!!?(その才能を見抜いたお母さんの奮戦記は省くとして)彼はピアニスト人生をその才能と努力で掴んだ…その名は辻井伸行君。大阪で2回目のリサイタル(2008年、ザ・フェニックスホール)は301席のホールでも空席が散見されるありさま。主催の大阪新音芦田事務局長と“いつか我々の手で満杯にしてあげよう”と話をしていたら…な、なんと2009年6月7日のヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール優勝で大ブレーク‼以降…完売、即完、売り切れ続出。それに伴ないマスコミの取材殺到…遂に取材規制が敷かれたのです。

…が、ヨッサンは特例が認められたようです。2009年10月6日ザ・フェニックスホールの楽屋。(以前では考えられなかった)異常に膨れ上がった会場でのコンサートを終えた辻井君と再会しました。

T:辻井伸行 Y:ヨッサン

Y「さ、ほんなら辻井伸行君とお話ししたいと思います。こんばんは」(“ん”を高く、“は”を下げる…大阪弁丸出し)

T「こんばんは」(よっさんとソックリ‼のイントネーション)

Y「さっきのアンコールで(ヨッサンの)真似したでしょ⁉」T「はい~」Y「覚えてる?ヨッサンのこと⁉」T「ハイ」Y「(今回アンコールの時に大阪弁で)“ほな、ぼちぼちいきましょか”と言ったらお客さんの反応凄かったネ」T「凄かったです」(そうなんです!彼に大阪弁のおもろさを教えたのがヨッサン。以前、ヨッサンがインタビューして家に帰った後も大阪弁で“こんばんは”を繰り返し言ってたとか。故に取材規制を解除してもらったのだろう。)

Y「辻井君はみんなからどういう風に呼ばれてるの?」T「のぶ君とかのぶりんとか色々呼ばれています」

Y「今年(2009)の春にネ、兵庫芸文ホール小ホールでコンサートがあって(キャパ417だけど、これまた空席目立った)、その3ヶ月後にアナタの人生がガラッと変わってしまいました。今、思い起こせば(ヴァン・クライバーン国際コンクールって)どんなコンクールでした?」T「やァ~もう、ホントに3週間という長~い間、ズ~っと緊張したりしてて、大変な部分もありましたけど、今回はもう優勝とか意識せずに、無心でもう弾いていたので、それがまァ優勝に繋がったのかなァと思います。(Y「楽しく演奏できたんや!」)そうなんです。アメリカのお客さんに喜んでいただけるよう楽しんで演奏しました。」Y「いつもどうり、普段着のノブ君や‼」T「そうですね、ファイナルは特にリラックスして、だんだん調子が出てきて、リラックスして落ち着いて弾けたんです」。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

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ヴァン・クライバー国際コンクールのライブCDジャケット

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