054 少年よ大志をいだけ! 山下一史②

50年も前、もう消えかけそうな…思い出があります。丁度、中学2年生の夏、ヨッサンは大阪から大分県別府市のおばちゃん宅への約2週間の1人旅に出かけたのです。大阪駅に見送る親父の印象はもう消えてしまったけど、たまたま同じ席に座っていたお姉さんたちとトランプを楽しんだことは微かに覚えています。それにおばちゃん宅に届いた親父からの手紙…は今も残っています。可愛い子には旅をさせろ…ヨッサンの旅はほんの小さな旅だけど、今回もご登場していただく指揮者山下一史さん(広島市生まれ)の“旅”には貴方も腰を抜かしますよ‼

中学2年の冬、一史少年は指揮者になる決意を胸に家の扉を開けました。“ただいま~、僕、今から東京にいくから‼”「親父、吹っ飛んで会社から帰ってきましたよ!(お堅い)銀行員で仕事一辺倒の人が“お前、何事だ~⁉”その時、初めて親父と将来のことについて、まともに喋りましたヨ」

広島市宇品に生まれた山下さんは…「ピアノは4つぐらいから始めました。ヤマハの音楽教室に通っていたんですが、その頃から指揮者になりたいと言ってたらしいんです。N響アワーの放映があって、お袋がクラシックが好きで、TVを見るだけでなく(一史坊やは指揮者のマネして)踊りながら“僕、これみたいに(指揮者に)なりたい”って言ってたらしいんです。お袋曰く“オーケストラの中心にいて、楽器を持ってないのに、偉くカッコいいし、1番最後に出てくるのが気に入ったんだろうね”」

ある日、ヤマハ音楽教室の先生が教えてくれたのです。「本当に音楽家になりたいんだったら、ここに(音楽教室)いちゃいかん」

当時、桐朋学園の子供の為の音楽教室の広島分室が立ち上がったんです。(小澤征爾、中村紘子、堤剛、凄い名演奏家を育てた)。分室に、現在、日本を代表するチェロ奏者山崎伸子さんがいました。山崎さん宅で毎日曜に東京から桐朋の先生や学生さんが教えにきますが、ピアノをやってた山下さんに“斎藤秀雄先生に後々指揮を習うのなら、先生に早く近づくためにチェロがいいだろう(斎藤先生は指揮者小澤征爾、秋山和慶…を育てただけでなくチェロ奏者として鳴らしていた)”それでチェロを始めたのは小学4年生の頃でした。

さて、1975年山崎伸子さんは日本音楽コンクールチェロ部門で優勝。お披露目コンサートを山下少年は山崎伸子のお母さんと東京まで聴きに行きました。中学2年の冬のことでした。山下少年は(当時大学生でのちに伸子さんの旦那さんになる)指揮者円光寺雅彦に紹介されました。山下さんは昨日のことのように語ります…

「伸子さんのお母さんがネ“この坊や、今、チェロ弾いているんだけど、ゆくゆくは指揮者になりたいのヨ‼”で、僕が“左きき”だといったら(間髪入れず、円光寺さんが)“ダメ、ダメ、ダメ…、右利きの俺たちが努力しても簡単になれないのに、左利き?そんなの全然だめ”あとから聞くと、それが彼の“愛”ですね。結局、突き落としても這い上ってくるやつでないとダメなんだと」(百獣の王ライオンは、我が子を谷底に落とし、這い上がってきた子供だけを育てる…あの“ライオンキング”を思い出す)

広島への新幹線での帰り…山下「僕、すぐ東京に出たいけど、親がなんて言うかな」山崎の母「何言ってるの!ウチの伸子なんか小学校の時から東京よ!斎藤先生がさらうように連れてったワ。それ考えたら、あなた男だし、東京に今すぐ行きなさい‼」肝玉かあさんに後押しされた山下少年は家に帰るなり“僕、いまから東京に行くから…”

中学生からアパートで1人暮らし、帝王カラヤンとの出会いは次回に。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

054yamashita

山下一史さん

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