143 指揮界のハンサムボーイ 飯森範親 ①

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(143

考えたら21世紀に入って干支がひと回りし、今年は2周目に突入したんや。色んなことが影絵のように瞼に浮かぶ…あの女性(ひと)に振られてもた、嫁はんとの喧嘩の数が増えた、今年1月の日経新聞“私の履歴書”の(失楽園などでお馴染みの作家)渡辺淳一さん(幼少の時にお母さん曰く“この子は女難の相がある”とか)には負けた!なんてどうでもエエ。やっぱり衝撃・激震は2011・3・11の大震災。あの日、あの時、ヨッサンは玉造にある森下仁丹の会議室で駒村社長と4月からの番組提供契約を口頭で交していたら…揺れだした。

それから半年ほど歳月が流れ、駒村社長のキレのいい東京弁(神田の生まれよ!)から耳を疑う嬉しいお言葉が“吉川さん、2013年2月11日は森下仁丹の創業120周年なので、いずみホールで記念コンサートをやりたい。ついては、オケは関西フィル、指揮者は藤岡幸夫とゲスト指揮者飯森範親(のりちか)は押さえているので、選曲・構成を考えて下さいヨ‼”(この小心者の)ヨッサンの心に、怒涛のようなやり甲斐・アイディアがふつふつと湧き上がってきたのです。

“創業が…1893年。そや!ドヴォルザークの新世界交響曲が作曲され初演されたのがその年や!”〝2人も有名な指揮者が揃うねんから、同じ曲を振り比べして、指揮者が違うとこうも違う…を演奏してもらお!ほんなら森下仁丹の創業者・森下博氏が生まれた年に出版されたブラームスのハンガリア舞曲の5番がおもろいで‼”“大阪で起業し、大阪とともに歩んだ企業やから大阪にちなんだ曲(月の法善寺横町や大阪で生まれた女…などなど)をジャズ・ピアニスト大塚善章さんのアレンジ&メドレーはどうやろ?大塚さんは玉造に近い高津高校の校歌をそれも在校中に作曲したお人でもあるやん”…とかなんとか。〈「前振りが長すぎるわよ~」…と編集長の声に…以下略〉

で、今回ご登場していただくのは、今回のゲスト、指揮界のハンサムボーイ飯森範親さん。(1963年生まれ。ありゃ、もうボーイちゃうわ)でも指揮振りがカッコイイ‼“のだめカンタービレ”の主人公役・玉木宏にそのカッコイイ棒振りを指南したのが飯森さん。映画“おくりびと”の冒頭シーンでベートーヴェンの第九(山形交響楽団・酒田第九を歌う会)を指揮していたのが飯森さんです。(あっ!あの人…と言って欲しい)

その飯森さんにインタビューしたのが2004年3月のこと。瞬時に溶け合った(意気投合というのか)雰囲気で話が弾んだのです。

N:飯森範親  Y:ヨッサン

Y「今日は色男がスタジオにやって来た!」N「今晩は!」(Y「ええ男や‼」)

Y「大阪弁、喋られますか?」N「全然ダメです」

Y「あきまへん?」N「ダメ」

Y「“あきまへん”…って、ちょっといって」

N「“あきまへん”」

Y「いけるいける!音感ええなァ、さすが指揮者や!(と、褒めると)」

N「いや、僕の本家はネ、明石なんですよ!」

Y「あのタコ焼き、明石焼きの?」

N「そう!半分ぐらいはきっと関西の血が入ってる。誰も信じてくれないけど。僕が初めて関西弁で教えてもらったのは“チャーしばきにいこか⁉”」(けったいなイントネーション)

Y「そら、ちゃうわ。誰やそんなん教えたのは?」

N「ちょっと…」(もしかしたら関西のかわい子ちゃんやったりして…⁉)

Y「じゃ、本家ということは、飯森さんのおじいちゃんが…」N「そう!京都大学のオーケストラでチェロ弾いていまして。あの朝比奈隆先生と同期です」もう、そのあたりから音楽の大海原を歩んでいくマエストロ飯森が浮かんできそうになってきた。

次回は指揮科でいじめられた話⁉(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

143inamori

タクトを振る飯森範親さん

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