なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(079)
肝っ玉母さんが、1980年にとんでもない…ものごっつい大きなものを誕生させたのです!!モスラ、ゴジラ…いや、“オーケストラという怪物”を。オーケストラの名は大阪交響楽団。(大阪の4つのプロのオケの1つ)その産みの親の名は敷島博子さん(1929年生まれの)82歳。丁度、このオケが創立25周年を迎えた2005年のお正月にオンエアされた敷島さんのオケ愛!音楽愛とは!?
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S:敷島博子 Y:ヨッサン(ほとんど出る幕なし)
S「48歳の時にお腹を切りまして、ものすごく落ち込んだんですヨ!!(女性の機能を全部とられ)髭がはえる、胸がなくなる…とか色々言われましてね。それに49歳の時に私を可愛がってくれた父親が亡くなったんです。(このお父さんにSPレコードを聴かせてもらったり、演奏会に連れてってもらったりと、お父さんから音楽愛を育んでもらった敷島さんは)この2つのことが原因で、ここでへたったらダメだという気が起きまして、それから立ち上がったのがオーケストラへの夢。人との、沢山の人をまとめるというか、人との繋がりというものが好きだったんです」
Y「人間と人間と人間…と考えたら、オケという1つの集団、人間の集団ということにたどり着いたんですネ」
S「最初から立派なオケとか思ってなくて…、私、合唱とか歌が好きだったんで、その合唱が伴奏なしのアカペラで、16世紀ぐらいの宗教音楽ばかりやってたんです。宗教音楽ですから、(ヘンデルの)メサイアなどをやりますと弦楽器などの伴奏が必要になってきますよネ。いつもいつも贅沢は出来ないんですけど、発表の場ではピアノ伴奏ではなくって弦を寄せ集め10人ぐらいでやってました。合唱指揮者はオケも振れる立派な方(小澤征爾、秋山和慶など名指揮者を育てた斎藤秀雄門下生=小泉ひろし)だったんで、その都度、寄せ集めてお仕事やってもらうよりは、自分で弦楽器や管楽器の宗教音楽の伴奏できる15、6人の人を、この指揮者さんは育ててくれないかナア?!東京から(指揮者さんは)毎週来られるので、毎週そういう(弦楽器奏者、管楽器奏者)人達が集まって練習していったら、(オーケストラとして)出来ていくんじゃないのかナア…っていう誠に単純な、申し訳ないような(動機)…。」
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以来、オケを作りたいと心に火をつけた敷島さんの、産みの苦しみにも似た執念の作業が始まったのです。どこから(演奏者を)集めていいか分らない。どこにヴァイオリン弾く人がいるか分らない。見えないような細い糸を地道に手繰り寄せる日々が続きます。
そうこうして、京都芸大の(高名なヴァイオリニストで元NHK交響楽団コンサートマスターだった)岩淵龍太郎さんが協力して下さり、“オケというものは技術よりも、まず人間!!人柄のいい人を探してあげましょう”ということで、紹介していただいた学生に一人一人に電話をかけた敷島さん…
S「オケを作ろうと思う、そのいきさつを、ズ~っと話をして…そして最後に“チョッとその話に乗れません”(パチャ…電話が切れる)“断るなら、はよ、ゆうてェ~なァ”てな感じ。それにみんな休みで故郷に帰ってるから、電話代がかかるかかる!5万くらいかかりましたし、何百人に電話したか分らない」
果たして…“大阪に新しいオケが出来るんやったら受けてみよか!!?”とオーディションには100人以上が集まったのです…が、オケが産声を上げ音楽が鳴るには、まだまだ乗り越えることが沢山ありすぎました。
合格し、晴れて団員になった演奏者のビックリ動転の条件(ギャラ)とは?!どんなとこで練習したか?!初舞台の試練とは?!…次回に。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)
敷島博子さん