080 “太腕”かあちゃん奮戦記 敷島博子②

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(080

50歳でオーケストラを作ったるねん!と言った敷島博子さんとヨッサンとの会話…。

S:敷島博子 Y:ヨッサン

Y「ぶっちゃけてネ、敷島さんは、エエとこのお嬢さんやと。結構、お小遣いを貯めてって、よ~し、オーケストラをポ~ンと自前で、自分でお金出して作っちゃえと…」

S「とんでもないですヨ!」

Y「ちゃうかったんやねェ~」

S「申し訳ないけど、オーケストラにお金がいるってこと、知らなかったんです(笑い)」

Y「オケは金食い虫や!」

S「それ知らなかったんです…知らぬが仏。手持ちは息子(現在の楽団長)の仕送りがいらんようになった100万だけ…です」

音楽史を紐解いていくと…裕福な銀行家の息子だった大作曲家メンデルスゾーンは指揮もやる(今日的な意味で指揮者第1号と呼ばれるほど)才能があった彼が15、6歳の頃、音楽会をやるために、お父ちゃんは彼のためにオーケストラや合唱団を作ってあげた…

ちなみにその頃住んでいた家の広さが1万2千坪!!庭には300人収容のホールがあったんだとか。

今年、没後50年の名指揮者トーマス・ビーチャムは製薬会社の御曹司で、莫大な財産を惜しげもなく投じオペラ団を作ったり、ロンドンフィルハーモニーを創設、その後、ロイヤルフィルハーモニーも作っちゃった。(どこかの製紙会社の御曹司さん!見習いや!!)

ならば、オーケストラを作るのにお金がかかるとは露知らずの敷島さんは??!

S「1979年、月刊誌“音楽の友”に“オーケストラを作るほど大変なことはない!難しいもんはない!!”っていうタイトルで対談が連載されてたんです。それを読んで不思議でたまらなかった。どうして運営出来ないんだろう?何故お金がいるんだろう?指揮者は(毎週東京からやって来る小泉ひろしさんが)もういるやないか!練習は近所の幼稚園(の体育館)でやる。楽器は皆な持ってきたらエエ。楽譜も自分で持ってきたら出来るやんか!何故、出来ないんだろうか…っていうのが疑問だった」

さてオーディションで選ばれた楽団員50人。ここでヨッサンの“ギャラはどないするんやろ??!”という素朴な疑問が…。

Y「入団条件や契約?ギャラは?」

S「①お金は一銭も出ません。(Y「はァ~ァ??」)②楽器は自分で持って来て頂戴。(Y「ホンマかいな?」)③月に1回練習して。④月1000円の会費を頂きます。」

Y「会費?自分でお金出してオーケストラに参加せい!という事?!」

S「そう!それでオーケストラを作りませんか?練習やっているうちにちゃんとオーケストラができます…って訳」

むちゃくちゃなこと言って、むちゃくちゃなことやった、てんやわんやの(細腕ならぬ)太腕かあちゃん一代記が始まります。

S「“コントラバスはオーケストラ持ちですよ”って言われて“え?なんで??”“そんなもん(めちゃくちゃ大きい重いコントラバスを)持ち運びしたら電車賃が倍かかる!”“そんなもん、抱えてもっといで!!”“ティンパニーどうするんですか?!”“どっかの学校の納屋に転がってるのがあるやろ!”ってゆうたら、それを借りてくる人がおるんです。

“楽譜があらへん”“そんなら(音楽)学校にあるのをソ~っと盗み出してコピーしたらエエ”今ゆうたら時効ですワ。安い楽譜を求め、ヤマハ、ササヤ、神戸楽器の楽譜の値段を全部調べ歩いたり、(その後)コンサートのチケットからチラシにポスターまで自前でデザイン。1円でも安い印刷屋を歩いて探しました」

それを全部1人でやった敷島さん!事務員スタッフはただ1人敷島さん!節約、倹約…お母ちゃんの奮戦は続きます。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

 

敷島さんが立ち上げた大阪シンフォニカー(大阪交響楽団の前身)の第1回定期演奏会(1981年)

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