085 バファローズ大ファンの音楽評論家 宇野功芳①

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(085

“悲”…悲嘆、悲劇、悲愴、悲惨…この1年は悲しい言葉があまりにも似合う年でしたが、嬉しい“悲”も…“なでしこジャパン悲願の世界一!!”“悲願の日本一ホークス!”でもやっぱり悲しいナ…プロ野球界の“悲運の闘将”西本幸雄さん逝く。パリーグ一筋。手塩にかけたチーム…大毎オリオンズ、阪急ブレーブス、近鉄バファローズ。まさにパリーグ一筋の野球人生でした。

そんな西本さんが手塩にかけた近鉄バファローズというチームも、結局日本一になれず消滅。ヨッサンもよく(これまた消滅した)森之宮の日生球場に通ったもんだ。今から考えると、狭い汚い、そして閑古鳥が鳴く野球場だった。突付いたら壊れそうな売店、酔っ払いのオッサンの野次や数えるほどしかいない応援団同士の野次合戦…近鉄バファローズの弱かったこと。

そんな近鉄バファローズを約50年間、こよなく愛し応援し続けた著名な方がおられます。その名は音楽評論家の宇野功芳先生、81歳。

宇野功芳…この方の名前を知らずしてクラシックファンを語るなかれ…と言われるほどのカリスマ音楽評論家なのです。仮想、音楽評論家ファン投票を実施したら人気実力影響力好感度ナンバー1は宇野功芳。そして大嫌いな音楽評論家ナンバー1もこのお方に輝くこと間違いない。

なんせ、あの帝王カラヤン指揮など“ただただ表面的で中味なし!”我等が小澤征爾の演奏は“汗をかかないベートーヴェンは最悪だ!”などなど、目を覆いたくなるような爆裂批評が載っている。どんなおっかない先生か…と思いきやこれがとんでもない好好爺。実に温もりのあるお方なのです。

宇野先生が“なんで近鉄ファンに?”…それはまず、昭和21年(1946年)ごろから始まります。当時のジャイアンツが好きになり、特に選手では二塁を守る千葉茂…背番号3…そう!ミスタープロ野球の長嶋茂雄がつけていた永久欠番3の前任者。その背番号3に惚れこんだ宇野少年は、千葉の追っかけのように後楽園球場に通う。

守備の名人でありライト打ちの名人でもあった千葉のことを、宇野先生は自著『オーヴェルニュの歌』で、何と22ページに渡り“巨人軍、往年の名二塁手・千葉茂”と題し、的確に、愛情がしたたり落ちるかのようにしたためてらっしゃる。

“考えてみると、ゼロ代後半から10代にかけて、僕(宇野)が夢中になった、安芸の海(大相撲、あの双葉山70連勝を止めた、のちの横綱)、千葉茂、ブルーノ・ワルター(宇野先生が…本当は合唱指揮者への道を歩みたかったのに…音楽評論家への道を歩むキッカケを作った20世紀を代表する名指揮者…詳しくは次回)には、何か共通するものが流れている。すなわち、人柄の良さ、温かさと、柔軟な技の魅力である”と語る宇野先生。

♬  そんな千葉茂が実働15年で引退。昭和34年(1959年)、パリーグの万年最下位球団“近鉄パールズの監督として手腕を発揮しようと決意し、近鉄は千葉の現役時代のあだ名“猛牛”に因んで、チーム名を“近鉄バファローズ”と改名したのです。以来、湖面に小石を投げたように、宇野先生の猛牛=バファローへの熱き思いは果てしなく広がって(猛進)していったのです。

数年前、宇野先生宅に取材後、“日本一旨い銀座の寿司屋に食べに行こう!”と先生。外出着を見て“ありゃあ!!”…何と“近鉄バファローズ選手のジャージ”それもヨッサンでも恥かしくなる真っ赤な派手なやつでした。

宇野先生の猛牛ファンの思いは、名著『宇野功芳のクラシック名曲名盤総集版』に、「ドイツでは3大Bといえば、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスだが、オーストリアではブラームスのかわりにブルックナーを入れる。僕ならバッハの代わりに近鉄バファローズだ!!」とある。呆れるやら嬉しいやら。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

085okawa

本業は合唱指揮者という宇野功芳さん

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