092 デザイナーの夢一転、和太鼓へ 林英哲②

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(092

あぶら蝉が暑さを煽っているかのように鳴いています。何だか比婆山のブナ群も汗をかいているような、うだるような…お盆。袈裟に身を包んだ住職と(マルコメ味噌の小坊主のような)少年は田んぼのあぜ道を急ぎ足で次のお家へと向かっています…何故か少年は嫌な顔一つ見せません。それは…“今が稼ぎ時”だからなのでしょうか??!

少年の名は林英哲…現在最高の和太鼓奏者。バンドを結成して自らドラムを叩きたい。でもお金がないので段ボール箱を“ドンダカ、ドンダカ…”叩いて一心に練習に明け暮れ…遂に譜読みを習得した彼は、遂にドラムセットを買うことが出来たのです。

♬  H:林英哲 Y:ヨッサン

H「ありがたいことに家(うち)はお寺だったんで、お盆の棚経で檀家を一軒一軒回ってお経を読んで回ったんです。木魚を叩いて。小学5年生ぐらいからお経の練習をさせられて、親父(住職)と一緒に行く訳です。そうすると檀家さんはお年寄りが多いから“小僧さん、よ~を来てくれた”といってお布施をちゃんと大人なみにくれるんです!(Y「あっ、そ~お!!」)それが、まぁ、失礼なことなんですが、今にして思えばアルバイト代わりで、それを貯めて、高校になった時に、やっとフルセット買ったんです!!」

Y「なんぼでした?!」(すぐ値段を聞くのがヨッサンの癖)、H「3万幾ら…それでも1番安かった。そのあと上京して電車の初乗りが30円、週刊誌1冊70円でした」日記帳を読み返すように語る英哲さん。渾身のパワーで“ドンドンタッタ…”叩く姿が目に浮かびそう…なんてたって回りには民家はない=苦情がこないのだ。

そうなると…将来は“オイラはドラマー!?”ドラムから和太鼓への道筋が見えてきそう…なのに意外なお話しが。

♬H「もともと絵を書いたり美術が好きで、美術大学を受けたんですが、落っこちまして、予備校に入ろうと上京したんです。予備校に行ってる時に佐渡島でイベントがある…僕はグラフィックデザイナーに憧れていたんですが、その時代の神様のような大スター横尾忠則さんが佐渡島にやって来る!“横尾さんに会いたい”一心で。上野発の夜行列車で朝新潟へ、船で3時間半(当時は高速艇なんてない)それは1週間若者が集まるイベントで、横尾さんのほか永六輔さんと小田実さんも参加…が結局、横尾さんも小田さんも現われなかったんです…」Y「なんや~それ」

そのイベントを企画した人が趣旨説明をした。“佐渡島に、世界に開かれた芸術大学を作りたい!そうすれば佐渡に若い人も残る。世界から学生も集まる。その為に太鼓チームを結成して世界中を行脚して、ビートルズのように稼いで回ろう!その(稼いだ)設立資金で大学を作ったらグループを解散する。これは7年計画で実施する!やるやつはいないか!?”

英哲は…大学設立=和太鼓チーム???親の手前もある、予備校生でもある…東京に戻った。〈紆余曲折〉

♬H「そのチームのメンバーになった友達から、“機関紙を発行するのでそのレイアウト・デザインをしてくれないか!?“って言うんでノコノコ佐渡島へ。そしたら“お前も一緒にやろうやろう!”

僕はドラムをやってたし、リズム感がいいんですよ。ほかの皆は、全くのズブの素人ですから、〝どうしてそんなに上手いの?お前は筋がいい!今欠員があるんだ〟…とかなんとか太鼓判を押されて…実は僕がドラムをやってたのを皆知っていたんですヨ。機関紙のお手伝いはエサだったのですネ!!?」

こうして鬼太鼓座が産声を上げたのです…1971年のこと。

次回は、世界の“オザワ”との出会いがなかったら今のソリスト英哲は誕生していないというお話を。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

092hayashi

僧侶たちと共演する林英哲さん

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