101 夫婦の馴れ初め談議 朝比奈隆・町子夫妻 ②

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(101

30年前、神戸市東灘区の朝比奈邸を訪れたヨッサンは…“いやですヨ‼”と嫌がる町子夫人を交えての“朝比奈ご夫婦馴れ初め談議”も収録することができたのです‼

A:朝比奈隆  M:町子夫人  Y:ヨッサン

Y「今で言うプロポーズの言葉は⁉」、M「ちっとも」、A「そら、仲人が言いますもん」、Y「はぁ??…仲人を通じて?」、A「僕は姉に言いますし、こちらは親と、まぁ相談したんでしょう。まぁ、あんなもんだっちゅう事になったんでしょうなぁ」、Y「あんなもんだって⁉」

A「ここの家は、娘3人でねぇ。ま、美人ばっかり3人居るわけですょ」(田辺製薬創始者田辺五兵衛会長の実弟、武四郎の3人娘の長女)、Y「お~!美人ばっかり」、A「で、親はもう、順番に出さなきゃなんないでしょうが。敵(先方)は、あせっとる訳ですよね」、Y「当時、奥さん、お幾つだったんですか⁉」、A「25だろ?」、M「ええっと、数えでね」、A「満24で。上野(東京音楽学校=現在の東京芸術大学)を卒業して研究科へ残ったんだから、23で出れば、24ですわな」

M「そんなに結婚しようと思ってた訳じゃないんですけどね…」、A「まだ学校へ行きたかったと…」、Y「今、初めて言う真実ですね、奥さん」、A「いや僕だってね、そんなに結婚しようと思った訳じゃないですよ、別に」、M「妹が居ましたからね。だから早く出て行けって、親はそうなんでしょうねぇ」

A「つかえとる訳ですよ、うしろにね。私の方は、もう33か4になってましたから」、Y「もう、そろそろ…」、A「いい加減にせいっちゅう訳ですよ」

そんなこんなの経緯を経て…晴れて!??結婚式と相成りました。

Y「どんな??!」、A「ちゃんと盛大な結婚式を、してもらいました」、Y「どこで?」、A「宝塚ホテルで。(Y「???」)そら、阪急ですもん。(先生は1931年京都大学法学部卒業後、阪急電鉄に入社…2年間、電車の運転、車掌、踏み切り番、百貨店の家具やネクタイ売場などなどを経験…後、再度、京都大学文学部哲学科に入学)いや、その頃まともなとこ行ってもね、パーティーなんかしてくれないですよ。食うもんないですもん。昭和16(1941)年も押し詰まってくると、もうそろそろ、あれです、(日米)開戦間際ですもん。そしたら僕の3年ほど先輩の人が、丁度、宝塚ホテルの支配人してて、“よし!お前結婚するなら、1週間レストラン閉める”と。そうすっと食べ物やなんかが1週間分溜まると、式が出来るって言うんです。ひどい事するもんですなぁ。それで立派な結婚式やって頂きましたよ」

なんと言う人徳でしょうか⁉仲人は…(驚くなかれ!!?)最初、小林一三さん、そう、阪急電鉄を始めとするグループの創業者に頼んだといいます。自分勝手に阪急をやめたのに…結局、元上司で岩倉侯爵(具視…ともみ)のご子息にお願い。もう、大勢の方が披露宴に足を運ばれ華燭の典は大盛り上がりに‼…食べるもんが無い時代に挙行したから“過食の典”…か?

さぁ~て、永遠の愛を誓い⁉を立て、神戸の朝比奈邸に嫁いできた町子夫人…。

Y「戦争の頃でしたら、当時は苦しかったでしょうね」、M「苦しいもなにもねぇ、何にも無い家(うち)へ、来ちゃったんですよ」、A「何にも無いんですよ」

何も無いところからどうなったか⁉胃袋のあたりから熱いものが込み上げてくるようなお話は次回に。

付記:朝比奈先生は声が大きい!こんな伝説が。“電車の1番後ろの箱にいたのに、1番前の車両から先生の声が聞こえてきたヨ”と誰かが言うと“いや、僕が阪急の神戸行き特急に乗っていたら、すれ違った大阪行きの電車から先生の声が聞こえてきたヨ⁉”…ホンマかいな??!(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

101asahina

神戸市の自宅で和服姿の朝比奈隆さん(1982年)

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