103 波乱の戦中・戦後 朝比奈隆・町子御夫妻④

ヨッサンは、落ち着いている、心臓に毛が生えている、思ったことをズバッと言う!!(ダンディですね!)…などのお褒め?!の言葉を頂くが、家のカミさんはぐさりと“パパはアカンたれや!!”と核心に向け矢を放つのです。アカンたれ…ダメなやつ、気が弱い…これまで何度実感したことか!!  40年連れ添ったカミさんにはお見通しなのであります。(男は結婚によって女の賢さを知り、女は結婚によって男の愚を知る…長谷川如是閑。グウの音も出ない言葉や!!)

ならば、結婚41年目の我等がマエストロ朝比奈ご夫妻にマイクを向けて見ると…??!

♬A:朝比奈隆 M:町子夫人  Y:ヨッサン

Y「奥さんから見て、朝比奈隆先生を音楽家として?旦那、御主人としてどう思われるか?まず、音楽家として」、M「音楽家としては、もう言う事は無いですよねぇ。あのね、非常に、本当に音楽が好きなんですね。ただ好きなんて事では表現出来ないような。そうゆうところが音楽家としてもいいでしょうしね。そうゆうところを持ってる人って、いいですよね。それはいいんですけどね…(ため息交じりに)あとのところは…」

Y「御主人として」、M「主人としてですかぁ……」、Y「よう物を忘れてきはったりとか、着物汚しはったりとか…」、M「ええ、それはもう、“枚挙”に、いとまがないですね」

A「あのね、次男がね、銀行に行ってる次男が家内に、ようあんな人と、30年も40年も住んどるなぁって…」。いやはや…どんな“お父ちゃん”なんでしょうネ!!?(収録後…夫人曰く“汚す、こぼす、メガネ、財布、楽器などなどを忘れる、…”ドジの数々を上げて下さいました)

Y「じゃあ、朝比奈先生から見た、奥さんは?」

A「いやぁ、僕は、もう、普通の奥さん、と言っちゃ申し訳ないかも知れないけど、ちゃんと内外の事も、うまくやってくれるし、不親切でもないし、ベタベタもしないし。そらね、40何年も手繋いで歩いてられないですからね。日常生活の中では御互いに、いたわり合うような台詞みたいな事は、あまり言いませんけど…ほとんど言わなかったと思うけれど。やっぱり非常に貧しい時は、多少気をつけて。口には出さないけど(感謝!)。

特に満州で、ハルピンで、ソ連軍が入って来た時にはね。(1945年、家族=朝比奈夫妻・長男と満州に移住)それまで結構な暮らしだったんですよ、ヤマトホテルと言う一流ホテルの特別室へ住んでね。兎に角、衣食住に不自由ないですわね。(指揮者の)仕事もあるし。それが(戦争に負けて)パタンとなくなって、もう、金は無い。力が無いし、お金が無い。

それから恐怖がありますわね。ロシアの兵隊が入ってきて。幸い、親切な方があって助けてもらったりして。今度は引き揚げて帰って来る時には、ある時は無蓋貨車(石炭や砂利を積む屋根のない貨車)に乗り、ある時は線路を歩き、でしょう。“ここは御国を何百里”を、歩くと随分遠いですよ。それで収容所ったら土間に筵(むしろ)敷いて寝るような、屋根も無いようなとこが、多いでしょ。そうゆう時に、家内は、割合、そのね、(辛抱して)やってくれました…子供を背負って荷物を持って、女として…あの時分まだ若かったな、20代だったな?」

M「そうでしたね、体が丈夫でしたからね、若い時…」

いかがですか?!苦渋も辛酸もなめつくしたお話しなのに抜けるような青空を感じてしまいます。

さて朝比奈親子が神戸市の自宅に着いたのは1946年10月20日。驚くなかれ次の年…4月26日大阪フィルの前身、関西交響楽団が産声を上げたのです…。

追記:町子夫人は現在、94歳。某老人ホームに入居され、大変お元気にされておられるそうです。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

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朝比奈隆さん指揮、大阪フィルのCDジャケット

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