122 野球少年が合奏クラブのリーダーに 指揮者 現田茂夫

ヨッサンは本当に幸せもんで、色んなジャンルのそれも多士済々の方々にマイクを向けたり、お茶を飲んだり、“ちょっと一杯”なんてことも。

そんなお一人…史上最高のサブマリン投手(通算284勝)山田久志さんと親しくさせていただいた。彼が完投しながら敗戦投手になった試合後なのに飲みにいったり、「山田久志投手ワンマンDJタイム」を企画して大好評…“駆け出しの生活難の頃、食卓はビールケースを裏返して使った話”“プロ野球の名選手は音楽好きでリズム感がいい”などなど…。

山田さんは能代高校2年の時、三塁手(サード)を守っていた…が、時々アンダースローでスローイング(下手で投げる)クセがあった。地方大会3回戦は大接戦で9回裏同点で、相手は2死満塁…大ピンチ。“打った!3塁山田の前に平凡なゴロ(“これで延長戦や”)と誰もが思った…ここで、山田のやってはいけないクセ(下手投げ)が出た!一塁手の頭上を遥か越えていく暴投!サヨナラ負けだ。(その夜、山田は決心した…“野球をやめる”と)山田は監督の前に出向いた…その時に監督が発した言葉…“お前、そんなに下手投げが好きなら、明日から(下手投げの)ピッチャーをやれ‼”

さて、今から40数年前、千葉県のある町に野球大好きな子供がいました。少年の名は“しげお”。千葉の“しげお”といえば“長嶋茂雄”。少年が野球に興味をもったのも当たり前だった…が、親が無理矢理ピアノを習わせた。

少年の名は…指揮者・現田茂夫。彼は語ります…「通っていた小学校に、たまたま“合奏クラブ”と“合唱クラブ”がありまして、担当の先生が、自分のクラスの担任の先生だったんですね。ですから、担任の先生が、放課後まで一緒だというのはイヤだ。で、合奏クラブに入ったんです」

たまたま体育系のクラブがお休みだったらしい。それで合奏クラブに入った現田少年は…

G:現田茂夫 Y:ヨッサン

G「チェロをやったんです。そこの合奏クラブっていうのは、教育音楽の中では有名な佐治薫子(さじしげこ。1935年、千葉県木更津市生まれの)スパルタ先生がいらっしゃった…今も千葉県少年少女オーケストラ音楽監督をやってらっしゃいますけど、ホント、音だけ聴いたら大人か子供か、ましてやプロかアマチュアか分からない素晴らしい演奏するんですよね…そこのクラブを佐治薫子先生がやってらっしゃった」

Y「人生の選択が、まず幼い時に始まったんやね⁉」

G「佐治先生との出会いがなかったら、まずこんな音楽やってませんし、ヨッサンに会う事もなかったと思います」

さ~、佐治先生のスパルタの下、わんぱく坊主の茂夫少年はリーダーシップも発揮し、合奏クラブの部長となり、先生の代わりに“指揮者”も体験。あっという間の小学校生活。

G「その近くの学区に、オーケストラが素晴らしい習志野第1中学があったんです!僕の通っていたのは隣の船橋市だったので、本来ならその(習志野)中学には行けないんですが、中学に行っても音楽やりたい!と、転入出来るように住民票を変えたりしたんです」

ここで佐治先生が何と仰ったか…“あなたは、自分はいいけど、他の仲間はどうすんの??!”通っている前原小学校の上の前原中学校には合奏クラブはなかった。だからよそに(習志野中)行きますと言うつもりだった現田少年に追い討ちをかけるように佐治先生が…“あなたが前原中に行って合奏クラブを作ったらいいじゃないの‼そして、みんなを連れて行きなさいヨ!!!”。

果たして、前原中学でスタートした合奏クラブは、その後、NHKコンクールやTBSコンクールにも出場…遂に〝最優秀文部大臣賞”を受賞したんだって…。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

122genda

現田茂夫さん

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