123 番外編 20年前の寄り道 フーテンの寅さん

拝啓 編集長殿 その後お変わりなく、お元気ですか⁉私こと、思い起こせば恥かしき事の数々。今はただひたすら反省の日々を過ごしております。毎週、毎週の原稿締め切りの遅きことの迷惑の(これまた)数々、くれぐれもお許し下さい…。

なんや「男はつらいよ」のフーテンの寅さん風の書き出しになってしまいましたが、そもそも!こないだ大阪民主新報で“山田洋次監督の軌跡”を大々的に載せはったもんやから、寅さんを愛するヨッサンのハートが疼いてきたのであります。(殺生やで編集長⁉)

あれはもう20年も前の1992年のこと(ヨッサンもチッター偉い時もありまして⁉)東京での「全国FM局編成・制作責任者会議」を終えたあと、(就業規則では、即、大阪リターンなのに)あまりにもない頭を使い切り、ゴシゴシと擦り切れてしまった頭脳と心を癒す為、“フーてんのヨッサン”になってしまったのであります。

“寅さんに会いたい‼寅さんが生活していた町の空気を吸ってみたい‼”…思い立ったヨッサンは上野から京成電鉄に乗り、京成高砂駅から金町線に乗り換え、たどり着いたのが寅さん旅立ちの駅=柴又駅。早速下車したヨッサンは帝釈天の方角へとフットワークよろしくスキップするのでありました。

帝釈天の参道入り口でまず、山田洋次監督の映画碑に認めてある名文句“私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します”が目に飛び込んで来ます。

参道沿いには、舌なめずりをしたくなる草だんごの“高木屋老舗”“吉野屋”、せんべいの匂いが堪らない“立花屋”“浅野屋”等が並んでいます。

おっと、おねいちゃんの声が聞こえてきたヨ⁉あれは寅さんの妹のさくらかな⁉“とらや”のおいちゃん、おばちゃん、印刷工の博や、印刷工場のたこ社長が頭から湯気をたてながら目の前に飛び出してくるような、なんだか、歩いている自分自身が映画のエキストラ・通行人の役を演じている気分になってしまうから不思議です。

団子を売っている映画の“とらや”(第40作からは“くるまや”)は実際にはないけれど、(“グ~”と腹の虫)そうや!第1作から寅さんシリーズのポスターを全部貼っている、熱気と庶民感覚溢れる“とらや食堂”で昼メシにしよう‼…と思いきや、ありゃりゃ…ありきたりの食堂になってしまって…ガックリ。

再び帝釈天に向かうと、“よう!そこの青年、どうしたい⁉”“あっ…寅さん‼”ちゃうわ、虎刈りのおっさんやった。度胸のついたヨッサンは帝釈天の山門の目立ったところに浅草で買ってきた「吉川」の“千社札”をぺッタンコ。(もっと早く編集長と仲良くしていたら、大阪民主新報の発展も祈願し帝釈天に願掛けしたことでしょうに)どこからか(亡き)御前様の声が聞えてきそうや!

こうして、水と緑豊かな江戸川河川敷に辿り着いたヨッサンは、由緒ある柴又名物の“矢切りの渡し”にやってきました。

伊藤左千夫の“野菊の墓”で有名な渡し舟。ついつい“北風が~泣いて吹く~”細川たかしの歌を口ずさんでいましたっけ…。あァ、人間回復、四角い顔の寅さんが吸った町の空気を胸一杯に吸うと…なんだか角張った心がま~るくなってくるヨッサンでありました。

三枝成彰さん→三枝さんの名アレンジで歌う佐藤しのぶさん→旦那さんでもある指揮者・現田茂夫さん→実は今回は現田さんと同級生の指揮者仲間・広上淳一さん…とご紹介する流れを考えていたのに。山田洋次監督の記事を読んでフーてんになってしまった。

と言うことで、ホンナラ、次回は…寅さんシリーズに登場したマドンナ役からこのお方にご登場いただきます!お楽しみに‼(誰やろ???)(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

 

20年前の寅さんとのツーショット

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