188 夢の舞台、宝塚歌劇、有馬稲子

夢…日本の白砂青松100選に選ばれた(貝塚)二色浜。ちょっと震えそうだけど爽やかな潮風に吹かれ、湧き出る天然の湯船に浸かりながら、オレンジ色に染まった流れる雲を眺め、気ままにゆっくり!お酒もぬるめの燗がいいけど、信楽焼の大壷のぬる湯で今年の夢を迷~想。

そう!貝塚在住のヨッサンのお正月は近隣の温泉巡り。

今年は駅前からタクシーで“運転手さん!二色浜の夢の湯へ行ってんか!”“は~ァ?お客さん、あっこは虹の湯でっせ‼”もう、頭の中は既に夢見心地だったのだ。天然温泉“虹の湯”…地下930mから湧き出る恵みの効き目。“よっしゃ!今年も喋って、書いて、くじけんとやるで~‼”

夢…とロマンと言えば“宝塚歌劇団”。

その1回目の演目の1つが『オトギ歌劇ドンブラコ(桃太郎)』(北村季晴作詞作曲・すえはる)だったのをご存知の方はほとんどいてはれへんやろナア。

阪急電鉄の創始者小林一三翁が1912年にたまたま東京の歌舞伎座で催されたこのオトギ歌劇に観劇・感激し、1914年4月1日、宝塚少女歌劇団の演目に採用。当時の宝塚新温泉での集客イベントとして、室内プールの泳ぐとこを全面床にして客席に、脱衣場を改装し舞台に。17人の少女によって上演されたのだった。

夢…ヨッサンがこの『オトギ歌劇ドンブラコ』を知ったのは2009年5月。敬愛する音楽評論家&指揮者の宇野功芳先生がこの日本初と言われる幻の歌劇を約100年振りにCD化。それを聴いたヨッサンは馴染み深いのどかなメロディーに時を忘れ“よっしゃ!宝塚のある関西でドンブラコ・コンサートを再演したろ!宇野先生の夢を叶えたるねん‼”。2009年11月28日・神戸新聞松方ホールに女声合唱“アンサンブル・フィオレッティ”の澄み切った素晴らしい歌声が飛び交います。…が、客席は雉(きじ)ならぬ、“閑古鳥”が鳴いてる。ヨッサンは赤(字)鬼に。

夢…今年4月に宝塚歌劇100周年夢の祭典で『オトギ歌劇どんぶらこ』が歴代のトップスターを中心に上演されます。(ごっついメンツや⁉)その中から午(うま)にちなんだ方とヨッサンは硬~い絆で結ばれ、かつてインタビューしたことがあるんです。

その名は“有馬稲子”さん。

今から20数年前、ヨッサンはFM大阪の花形?DJとして朝ワイドを月~木担当。その番組内に“私のパートナー”のコーナーがありました。(ヨッサンの「私のパートナー」は竹踏みと腹巻)

ディレクターが“誰かええ人おらんかなァ?”と重たいものを呑み込むような表情。

“せや、丁度、我が夕陽丘高等学校80周年同窓会総会のゲストに有馬稲子さんが来はるから頼んでみるワ‼”とヨッサン。先輩のネコちゃん(稲子からの愛称)は、同窓生の気安さからか、立板に水のように嘶(いなな)いて(もとい)語ってくれました。

「私のパートナー…それは水着。お芝居で3時間ずっと膝をついてまして、膝を打撲する訳です。それが重なって水が溜まって。お医者様にジョギングは体重の17倍の圧力がかかるから、水泳をやりなさい‼っていわれたんです。でも私、カナズチでして…クロールが8m。タモリの“笑っていいとも”に出たら笑われてしまいました」(そりゃそうや、ぱっと足で蹴ったら8mなんてすぐや)

「私のパートナー…私は非常に神経質なところがあって、“枕”が変わるとなかなか寝られないものですから、非常によく眠れる枕を持ち歩いています。持ち歩くと言えば、私のパートナーは三味線。ちょっと時間があった時は、たとえ10分でも弾くようにしています」。ヨッサンの“くち三味線”とえらい違いや。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

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「ドンブラコ」コンサートのチラシ

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