019 父が弾いた「月の砂漠」 小林研一郎②

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(019)

男にとって最高の職業はなんやろ?

かつては“オーケストラの指揮者”と“連合艦隊の司令官” そして“プロ野球のお監督”だと言われていました!また古典落語の世界では、男は江戸の昔から“風呂屋の番台”に憧れていたそうで…「湯番台」てな小噺もあるんですネ。ま、連合艦隊なんて言葉が出てくるんですから、こりゃだいぶ昔の話でしょう…今じゃ男装の麗人のような女性指揮者もいるんですから。

ほんなら…ヨッサンにチャンスがあるとすれば…“垂涎”… 風呂屋の番台でしょうか!? (本紙“なにわ銭湯漫遊~記” のラッキー植松さんに聞いてみよう…どっか番台に登れるとこありませんか⁉)

ならば指揮者とプロ野球の監督…自分が音をだす訳でなし、自らバットを持つ訳ではない共通点がありますが、オーケストラやチームを束ね、自分の思う音楽作り・チーム作りへと導いて行かねばならない…その責任感や充実感たるや(なった人では分らないけど)兎に角、なってみたい!やってみたい!…仕事の代表格であることは確かです。

それでは、本日の主人公、我等が“炎の指揮者コバケンこと小林研一郎さん”はどのような“指揮者人生”を歩まれて来たのでしょうか⁉

◎本日は…台本のない音楽サロンです… どないなるんやろ??!!

◎決まっているのは、コバケンさんの娘さん“小林亜矢乃”さんによるミニピアノリサイタル…ショパン、シューベルト。

◎コバケンさんがピアノに向かいます…さて、どんなサプライズがあるのか?!

◎そしてアンコールは??!!

…そんなこんなの文章を当日の音楽サロンの配布チラシにしたためました。タイトルは[~コバケンさんの古稀をお祝いする音楽サロン~]。今年の5月20 日、サンケイホールブゼで開かれたブリーゼ・ランチタイムコンサート。ヨッサンもトークで参加させていただきました!

ステージでコバケンさんは語ります…「僕が初めて音楽に感動したのはネ、4歳の頃だったか、父が弾いてくれた童謡の“月の砂漠” でした」と言って、やおらピアノに向かう… 「艦砲射撃の音を背にして、防空壕で家族が抱き合う、そんな時を過ごさなくてはならない時代だったんです。そんな中、父の奏でるピアノの旋律」…コバケンのピアノの調べ…「最初は退屈だったんです。ところが!」…ピアノの調べが転調して光り輝く…「こんな風に変化し、その美しい旋律は幼い心をトリコにしたんですネ」

そのコバケンさんに20 数年前インタビューした時、お父さんについてこう語りました。

「音楽の勉強しても将来、辻音楽師か街頭でヴァイオリンを弾いたりするだけかもしれない…それはそれは猛反対でした。(第九を聴いて作曲家への道を進みたい僕が)曲を書いた母の手作りの五線紙は破り捨てられたんです。」

何故、お父さんはあのように激しく大反対をしたのか…その答えが91 歳で亡くなったお父さんの葬儀で、古くからのお友達が読み上げた弔辞の中にあったのです。

“小林正毅君は幼少の頃、音楽家を志し…”コバケンさんのお父さんは6人兄弟の長男でした。長男は生活を支えるために音楽家への道を断ち切らねばなりませんでした。中途半端な気持ちで(音楽家として)食べていけない。自分がたどってきた思いからの、息子であるコバケンさんへの深~い愛情だったんですネ。…コバケンさんはステージに立つ前にいつもこの言葉を心の中でつぶやくそうです… “お父さん、今日もよろしくネ”と。

人生を棒に振ることなく、今もなお(指揮)棒を振るコバケンさん…。ありゃ…編集長、時間…じゃない、字数が足りないや!コバケンさんとの音楽サロンはまだまだ続きます。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

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音楽サロンでピアノを弾くコバケンさん(5月20 日、サンケイホールブリーゼ) 撮影=小柴一良

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