029「お前もやってみろ」で指揮者に 秋山和慶①

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(029)

“師のたまわく…”前回、この紙面でご紹介した大阪センチュリー交響楽団首席コントラバス奏者・奥田一夫さんの追悼コラムに師のたまわくがありましたよね!!?“奥田君がコントラバス弾くんやったら新しくコントラバス買ってもいいよ!!?”もし、そのひと言がなかったら…⁉

さて、交響楽団…と言えば“指揮者”。ヨッサンがよ~くお仕事したのが日本を代表する秋山和慶さん。1941年生まれの今年69 歳。今、まさに巨匠の域に達している指揮者。彼が師について語ってくれました。

「趣味でピアノをやってたんですヨ。ま、格好がつくぐらいネ。それでメシを食うとは思ってなかったし、僕は機械が好きで、汽車とか電車、それに飛行機、今だったら宇宙工学かな! もしかしたら、その道に進んでいたかもしれないネ。(数学、理科の大好きな少年、現在の風貌もどことなく〇〇博士風)

ある日、中3の中ごろだったかな、近所に楽器仲間の岩崎洸(チェロ奏者)がいて、彼が齋藤秀雄さん(チェロ奏者・指揮者・音楽教育者として活躍。教え子は数え切れない)のお弟子さんで桐朋の音楽教室に通っていたんです。で、彼のお姉さん(淑)がピアノ科にいて、そのころ親に連れられて、よくオーケストラを聴きに行ってたもんだから、淑さんなんかと“オーケストラは面白い”って話をしていた訳よ。そしたら淑さんが“ 桐朋のオケ聴きにおいでよ! ”ってんで聴いたら大ショックでネ。全身総毛立つっていうか…。

小澤さん(勿論、世界のオザワ=小澤征爾が20 歳の頃)指揮する学生オケって11 歳から15 、6歳だけど、アンサンブルが精密だし、“どうしたらこういう音が出るんだろう?”と思ったら、目の前が、真っ暗か真っ青というか真っ白っていうか…火花が飛び散るような…。それでオケに入りたいなと。

それで淑ちゃんに小澤さんとこへ連れてってもらった。そしたら小澤さんが“お前はなんじゃい?”って顔してたけど、“それじゃ齋藤先生んとこ紹介してやるから”それがそもそも初めだったんです…。」

そして、いよいよ師のたまわく…齋藤先生との出会いがありました。それは仰天発言のひと言。

「先生が… “桐朋の指揮科は小澤しかいないんだから、お前も(指揮)やってみろ!ものになるかは、5年や10 年たたないと分らないけど、仕込む事だけはしてやる”と言われたんです。」

以来、棒振り(指揮者)なんて雲の上の人、遥か彼方の神様みたいな偉大な人だと思ってた指揮者としてのお勉強…それは野球の“血反吐の特守、特打”にも似た猛練習の数々でした。“ダメだ!帰れ!やめろ!!!”の罵詈雑言、叱咤(の激励ぬき)の毎日…。それに耐え、着々と“指揮学”“音楽学”を身につけていく秋山さん。

後年、師のたまわく…秋山さんに

“お前ねェ、俺は今考えてみると、どんだけ怒鳴りつけたり、怒ったり、頭にきたりして、生徒に迷惑をかけたか…。怒鳴ったり怒ったり、短気を起こすことは、自分の教える才能が足りないからだ。つまり説明力が足りなかったり、自分で弾いてみせて、こうだよって教える力がないから。怒鳴るのは自分の負けだ!だからお前も、教える事は本当に難しいけれど、1つ1つの事を(目的は1つなんだけど)やりとげなくてはいけないよ。

山登るんでも色々な方法があるだろう。とにかく、解からせる努力を最大限に払え。お前が腹立てて怒ったら、お前は先生としての資格がない、俺は資格がなかったんだ…。”

こう語った師は3日後に息を引き取ったそうです。秋山さんの目に“こんな素晴らしい名教師、今時いるかよな”って書いてありました。

さて、次回は秋山さんの仰天の趣味とは!?? (よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

akiyama

秋山和慶さん(左)とのツーショット

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