おとなの文化村 (226回) シャンソン歌手 翔ユリ子さん

今夜は元銀行員、そしてこのあいだまでは小学校の先生、そしていまはシャソン歌手・・と ユニークな人生を送っておられる翔ユリ子さんです。

翔ユリ子さん、「大人の文化村」にようこそ!翔ユリ子さんは熊本生まれの大阪そだち高校卒業後、日本銀行大阪支店に入行。銀行員の傍ら大学に通い教員資格を取得され5年の銀行員生活ののち、念願の小学校教員のみちに進まれます。そして先生として教壇に立つ毎日でしたがシャンソン歌手にあこがれ、先生をしながら歌手の勉強を始められ、1993年にはついにプロデビュー。以来、先生と歌手の二足のわらじをはく毎日でしたがときには両立がむずかしいときもあり2007年に30年務めあげた先生の仕事についに終止符を打った翔さん。現在は、シャンソニエとして関西を中心に各地のステージで精力的に活動されていて、昨年念願のアルバム「先生のオルガン」をリリース。今夜は、シャンソニエ翔ユリ子さんの人生を語っていただきます。

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おとなの文化村 (225回) 『川上さん家(ち)の犬鳴豚』 川上寛幸さん

今夜は 大阪産・・と書いてオオサカモンとよませる産品が多く流通しているなかの一つ、『川上さん家(ち)の犬鳴豚』でいまや有名ブランドとなった犬鳴豚の生産者、有限会社関紀産業、専務取締役の川上寛幸(ヒロユキ)さんをお迎えしています。

川上さんは1978年生まれのまもなく34歳。実家の川上畜産の長男としてうまれますが、小学校のころは豚舎のお手伝いをさせられるのがいやで、絶対に継ぐもんかと密かに思っていた川上さん。1997年三重大学工学部分子素材工学科入学、研究者の道を目指しますが、4回生のときに先輩の就職後の状況を詳しく聞き、組織の一歯車となるよりは父の後を継ぐほうがおもしろいと気づき、大学院に進学予定だったのを教授に無理を言って学士で終了。そして卒業後すぐ実家に戻ることに。しかし、すぐに農場に入ることはせず、ビジネス体験を積むために2001年4月~2007年2月まで5年間、生産者直売の豚肉屋を開業します。そしてその後は養豚と直売の兼業をしたり、直売をやめて養豚一筋にもどったりと試行錯誤を繰り返し、その結果弟さんの協力もあって精肉の販売を再開。2010年にはブランド確立のために自らが生産販売する精肉に商標登録「川上さん家の犬鳴豚」を取得されます。そしてその努力が認められ、中央畜産会主催の平成22年度全国優良畜産経営管理技術発表会で優秀賞を受賞。大阪府下で唯一の生産者が直売するブランド豚肉として府下各地に移動販売車で出かける毎日の川上さん。今夜は、ブランド豚にかける熱い思いを語っていただきます。

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おとなの文化村 (224回) デザインプロデューサー 喜多俊之さん

今夜は日本が世界に誇るデザインプロデューサー喜多俊之さんにおこしいただきました。

喜多さんは1942年大阪生まれの大阪そだち、1964年浪速短期大学工業デザイン科卒業後、1967年に自らのデザインオフィスを設立され、住環境やライフスタル、地域伝統工芸などについての研究を始められます。そして早くも1969年には工業デザインの先進地であるイタリア・ミラノにも制作活動の場を広げられます。そして以来、現在まで日本の工業デザイン界をほぼ半世紀にわたってけん引してこられた喜多さん。ヨーロッパや日本のメーカーからの依頼で 家具、液晶テレビなどの家電製品や、家庭で使われる日用品やロボットに至るまで、分野を超えて、多くのヒット商品を生みだし、その作品はニューヨーク近代美術館、パリ国立近代美術館、ミュンヘン近代美術館等、世界のミュージアムに多くコレクションされています。そして近年は、日本だけでなく、ヨーロッパ、アジアなどで、セミナーやワークショップを開くなど、後進の育成にも力を入れておられ現在は、ライフワークとしての、日本の伝統工芸に取り組まれ地場産業を活性化する仕事にも関わり続けておられる、喜多さんです。今夜は、喜多さんがこれまで続けてこられた 暮らしのなかのデザインの世界について語っていただきます。

 

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