おとなの文化村(505) 大阪あそ歩 山田重昭さん

今夜のお客様は「大阪あそ歩チーフプロデューサー」の山田重昭さんです。

山田さんは1964年、大阪市生野区生まれ。八尾で育ち、現在は大阪市住吉区に在住。大阪府立清水谷高校、同志社大学文学部を卒業後、主にレンタルビデオを扱うホームエンターテインメントの会社に勤務。全国展開チェーン店で、北海道、本州、四国、九州を平均6ヶ月のペースで渡り歩いたそうです。その後、元上司2人とともに大分でホームエンターテイメント業界向けのコンサル会社を開業。5年半の事業をへて故郷大阪に戻ってこられました。そして、東大阪に本社がある実家の町工場を手伝いながら、2007年に関西・わがまち大阪を元気にするため、文化発信・地域おこし・まちづくりに取り組む「YUI企画」を設立。さまざまな活動、イベントに関わってこられました。いま山田さんが「チーフプロデューサー」を務める「大阪あそ歩」は2008年に「大阪はまちがほんまにおもしろい」をキャッチフレーズにスタート、現在は一般社団法人として年間3万人以上が利用して150コースをもつ「まち歩き」として、観光庁長官表彰を受賞するなど自立した市民活動として活動しています。今夜は今月末から始まる「大阪あそ歩2018春」についての情報はじめ、社会人大学院生として大阪市立大学創造都市研究科に通いまちづくりを学び、ながらく地域活性化の活動に取り組む山田さんの活躍を伺いたいと思います。

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おとなの文化村(504) テノール歌手 林 誠さん

今夜のお客さまはテノール歌手の林誠さんです。

林 誠さんは1945年、三重県一志郡宇気郷村(うきざと村)、現在は松阪市に編入されている山村に生まれました。中学校に新卒の音楽の先生が赴任され 村には一気に音楽が溢れ7人のブラスバンドが結成、林さんはクラリネットを担当。スーザはじめ多くの行進曲をひっさげて隣村の体育祭にゲスト出演したのも誇らしい思い出だそうです。親の後を歩むべく教育学部への進学を考えていたところ、音楽担当の恩師から音楽大学進学を助言され、クラリネットを持って大阪に。オープンキャンパス講座では全くレベルが届かず、練習の必要がない実技は歌との思いから大阪音楽大学声楽科へ。3回生の時、大学オペラ公演で初舞台を務め、恩師の一人朝比奈隆先生の指揮、演出 総監督のもと、舞台での振る舞い、 目線の動かし方、平素の生活についてまでも教わり、カッコイイナーと常に先生を見惚れていたそうです。大阪音楽大学大学院修了後、数々の賞を受賞し活躍する林さんは、世界のマエストロ小澤征爾さんとの出逢いで、オペラの主役、ボストン交響楽団日本公演「第九」のソロ出演と音楽人生はさらに飛躍されます。「 素敵でした」と小澤さんからかけられた声はシンフォニーホールの舞台に上るといまも鮮やかに聞こえてくるそうです。18年前に声楽仲間を集め 音楽でのボランティア、社会貢献の実行を目指すグループ「クオレの会 」を立ち上げたことをきっかけに、所謂 クラシックと 他の歌との境も 柔らかく感じるようになり、8年程前から、「アンパンマンマーチ」「手のひらに太陽を」など、やなせたかし、から 中島みゆき、さだまさし、水戸黄門などドラマ主題歌も披露されています。今夜は、来たる3月18日にザ・シンフォニーホールで開催される東京で大成功を博した「浅草オペラ100年記念~ああ夢の街浅草!」大阪公演に出演され、なんと浪花演歌も歌われるという、この懐かしくもモダンなステージの魅力などたっぷりと語っていただきましょう。

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おとなの文化村(503) 桜川ものわすれクリニック 山本大介さん

今夜のお客様は「桜川ものわすれクリニック」院長の山本大介さんです。

山本さんは1978年・昭和53年、大阪生まれの39才。広島大学医学部卒業後、大阪大学精神科の大学院に進学、認知症の研究に取り組んで来られました。35歳で浪速区桜川に「桜川ものわすれクリニック」を開業。重症患者が受診に来れないという実情があるなら、ドクターが往診するというスタイルを実践しようと、在宅医療に力を入れておられます。クリニックとともにデイサービス、訪問看護ステーション、保育園の運営にも取り組み、高齢者とこども達が楽しくやさしく触れ合う姿を大切にみつめながら、日々精力的にしごとに取り組んでおられます。焼き肉屋の孫、すし屋の息子として育った山本さんでしたが、実家が倒産したことで苦労しながら勉学に励んでこられた体験から、楽しく働く事が出来る職場づくりを大切に、しっかり勉強して、人が感動するものを提供する事をめざして今日も活躍されています。それでは、「オトボケ老人」とのニックネームもいただくノイリン、しっかりとお話を伺って下さいね・・・。

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