おとなの文化村(274回) 松竹芸能株式会社の社長 井上貴弘さん

今夜はかつては芝居小屋が立ち並び、日本のエンターテイメントの中心地であった道頓堀の賑わいをもう一度と2008年の消滅以来5年ぶりにこの夏、よみがえった道頓堀の演芸の名所「角座」を運営する松竹芸能株式会社の社長さん井上貴弘さんにおこしいただきました。

井上さんは1968年(昭和43年) 神戸市生まれの45歳。兵庫県立長田高校そして慶應義塾大学へ進まれ、阪急電鉄(現・阪急阪神ホールディングス)入社され社会人生活をスタート。そして更なるキャリアアップを目指してアメリカにわたり名門コーネル大学の大学院を修了。そして2005年には松竹芸能の親会社である 松竹株式会社にインターネット事業担当部長として入社されます。そして2011年43歳の若さで松竹芸能株式会社の代表取締役社長に就任され、今年の7月28日には念願の「角座」の道頓堀復活をはたされました。そしてこれからは笑いのエンターテイメントを育てるだけでなく、笑い育てると書いて「笑育」(わらイク)と読ませる笑いを取り入れた教育にも力を入れていこうとされている井上さん。明日10月1日には大阪府教育委員にも就任されるなど八面六臂の大活躍。今夜は井上さんの「笑い」にかける思いを語っていただきます。

 

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おとなの文化村(273回) 大阪を変える100人の会議 施 治安さん

リスナーのみなさんは「大阪を変える100人会議」ってご存知ですか? 大阪に存在する様々な問題を解決するために幅広いジャンルからあつまった人たちによって結成された団体とでも言えばいいでしょうか・・今夜はその事務局長を務めていらっしゃる施治安さんにおこしいただきました。

施さんは台湾国籍の華僑三世として1954年(昭和29年)、大阪市天王寺区に生まれた59歳。株式会社 遊企画 代表取締役でソーシャルイノベーション大阪(SIO)運営委員会代表、そして「大阪を変える100人会議」の事務局長、施さんは50歳になったときに、それまでのサービス系ベンチャービジネスの人生から方向転換。生まれ育った大阪の地に恩返しするため、社会貢献に余生を捧げることを決意されます。そして2008年9月に、ソーシャルビジネスを大阪からつないでいこうという思いをもとSIOnetworkをスタート。また2012年9月には大阪におけるさまざまな社会の課題解決にビジネス手法で取り組むひとたちが集まって結成された「大阪を変える100人会議」を仲間と立ち上げるなど大阪や関西の社会起業家たちを結びつけるハブ的な役割を果たしている施さんです。今夜は「大阪を変える100人会議」を中心に施さんの幅広い活動の中味をたっぷりと語っていただきます。

 

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おとなの文化村(272回) 大阪市此花区 区長 西原 昇さん

今夜は大阪市24区の区長さんをめぐるシリーズ区長数珠繋ぎの第3弾。あのUSJでにぎわう大阪の海沿いの区、此花区から西原区長さんにお越しいただきました。

西原さんは1965年10月大阪浪速区生まれのもうすぐ48歳。5歳のときに堺市浜寺へ転居し、子ども時代を送った西原さん。幼稚園の頃から眼鏡をかけるほど目が悪く、テレビを見せてもらえなかったこともあり、本とラジオに夢中になり、当時のお気に入り番組は FM大阪のコーセー歌謡ベストテン。そのせいか、音楽に興味が沸き、オルガン、ギターを習得、小学生時代はアリスやさだまさしといった ニューミュージックにはまっていたとか・・そして高校では吹奏楽部でパーカッションを担当。大学時代もバンドを続け、ドラムを担当。その一方で、映画館で観た映画の迫力に影響を受け、映画を頻繁に観に行きはじめ、その影響から日活に就職、映画製作の多くの現場を体験するも日活があえなく倒産、その後は海外青年協力隊でアフリカに渡るなど、様々な世界を体験後、ユニバーサルスタジオジャパンのエンターテイメント部門で活躍。そして昨年8月に此花区長に就任された西原さん。チャーリー・チャップリンをこよなく愛し、手塚治虫と宮本輝を敬愛し、チャップリンの映画の台詞「人生に必要なもの。それは、勇気と想像力、そしてほんの少しのお金」を座右の銘として日々がんばっている西原さんに、我が街此花を熱く語っていただきます。

 

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