おとなの文化村 (222回) 天満音楽祭 海家聖雄さん

今夜はいよいよ今週の日曜日10月7日に大阪・天満エリアで開催される「第13回天満音楽祭」のプロデューサー海家聖雄さんです。

海家さんは 昭和25年大阪天満生まれの天満そだち、紙製品やポリエチレンの包装素材を扱う会社の2代目社長さん。生来の音楽好きの海家さんはちょうど2000年になったとき自分が50歳になった節目でもあり、何かイベントを仕掛けたいなと考え同級生数名に声をかけて、手作りで始めたのが“天満音楽祭”の第1回でした。そして出演バンドが4バンド、会場は6箇所。PAはミュージシャンからの借り物、印刷は地元の印刷屋さんにほとんどタダで協力してもらい、イベントジャンパーも全て貰いもので間に合わせるといった徹底的な手作りイベント。それでも、当日4000人のお客さんが集まりメイン会場のOAPは人で埋まって大成功!そしてその年はオリンピックイヤーだったので、まあー4年に1回くらいできたらいいなとおもっていたら、評判も良くまた来年、また来年と続けてしまい、なんと今年で13回も続いてしまった。「天満音楽祭」100年後の2100年には100万人ライブにすると宣言、でも後87年しかないので、少々焦りぎみの海家さんです。今夜は自分が演奏したいからという単純な理由で始めた。「天満音楽祭」の昨日、今日そして明日を語っていただきます。

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おとなの文化村 (221回) 本家さぬきや 大阪外食産業協会第12代会長 平野譲さん

今夜は来年のゴールデンウィークに開催が予定されている大阪が誇る4年に一度の「食」の一大イベント「2013 食博覧会・大阪」の準備に大忙しの社団法人大阪外食産業協会第12代会長で大阪府下を中心に広く飲食業を展開されている、株式会社本家さぬきやの代表取締役社長平野譲さんにお越しいただいています。

平野さんは昭和25年の10月 和歌山県のおうまれのもうすぐ62歳。和歌山の地元の高校を卒業後、大手スーパーに入社され4年間のサラリーマン生活の後、昭和48年藤井寺において「お茶」を扱う商売をスタートさせますが4年後の昭和52年にうどんやさんに業態転換 それが現在の「本家さぬきや」の出発点でした。そして昭和59年には株式会社本家さぬきやを設立。以来今日まで35年の歴史を積み上げてこられました。そして昨年11月に大阪の外食産業の活性化に取り組む団体、社団法人大阪外食産業協会の第12代会長に就任。来年の第8回食博覧会・大阪の開催準備に取り組んでおられます。

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おとなの文化村 (220回) ジャズミュージシャン 鍋島直昶さん

今夜は御歳86歳のいまも現役のジャズミュージシャン鍋島直昶さんです。

鍋島さんは1926年、東京世田谷 三軒茶屋に生まれます実家は佐賀鍋島藩藩主という由緒正しきお家柄という鍋島さんは4才からヴァイオリンを上野音楽学校(現在の東京芸大)の先生に師事、そして13才頃、ラジオで和田肇というピアニストの弾くジャズピアノに出会いピアノを独学で勉強されますが戦時下のこと海軍航空隊員として招集され、復員後に慶応義塾大学に入学されますが学業よりは音楽と本格的にジャズの世界に進まれドラマーとして活躍。そして25歳のときに仙台の米軍キャンプでジョージ・シアリング・クインテットのビブラフォン奏者エミリオ・リチャーズと出会い、自らもビブラフォン奏者に転向され1959年にからは関西に居を構え現在まで関西ジャズ界の大御所として活躍されています。今夜は鍋島さんの半世紀以上にわたるジャズ界での歴史とその元気の秘密に迫ります。

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