おとなの文化村 (212回) 精華小校舎愛好会 分田よしこさん

今夜はのいりん、のぐったんの母校 大阪ミナミのど真んなかに残る昭和の名建築・精華小学校の保存運動に携わっておられる精華小校舎愛好会代表の分田よしこさんにおこしいただきました。

分田さんは昭和40年大阪市生まれ。昭和45年頃、現在の”アメリカ村”と呼ばれているエリアに引っ越されます。当時はアメリカ村の黎明期、そこから精華幼稚園・小学校へ通われた分田さん、市立南中学(いまのBIG STEP)そして府立清水谷高校に通い、大阪工業大学の建築学科に入学。都市計画を勉強され育ってきた地元アメリカ村への思いはひとしおで、卒論も「アメリカ村の成り立ち」でした。そして卒業後は建築の道を歩むことなり、平成元年には大林組に入社。そして8年後退職されイタリアに渡り、現地の設計事務所に勤めたのち 帰国後自らの事務所STUDIO WAKEDAを設立され現在にいたっておられます。そして名建築の誉れ高い母校精華小学校の存続が数年前から怪しくなりこれではいけない・・と一昨年に「精華小校舎愛好会」を立ち上げ、代表として校舎保存運動に力をいれておられる分田さん。今夜は我らが母校精華小学校について熱く語っていただきます。

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おとなの文化村 (211回) お茶屋「たに川」の若旦那 谷川恵さん

今夜は大阪ミナミ島之内に残る最後のお茶屋「たに川」の若旦那、谷川恵さんにお越しいただきました。

1973年大阪ミナミ島之内、いわゆる南地花街のお茶屋「たに川」にうまれた谷川さん。小さいころから芸妓さんに囲まれてそだち大阪大学文学部美学科にて芸術一般を幅広く研究。そして卒業後文学部哲学科に移り倫理学の研究生活ののち大阪府立の大型児童館ビッグバンの事業企画担当としてこどものためのお芝居をプロデュースする仕事につくも激務で体を悪くし退職。その後、ご両親ともに反対であった家業お茶屋を継ぐことを決意。以来、お茶 お花 お能 舞 三味線など様々なお稽古事に励みながら若旦那修行の日々を送っておられる谷川さん楽しく華やかな「お座敷」の魅力を初めての方にもわかりやすく伝えていけるようにと花街の発展とお座敷文化のさらなる普及を目指して日夜東奔西走の若旦那谷川さん。今夜は「お座敷文化」の真髄を語っていただきます。

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おとなの文化村 (210回) お好み焼き千房 中井政嗣さん

今夜は食い倒れの街大阪を代表するコナモンの一つお好み焼きの老舗「千房」の社長さん中井政嗣さんにお越しいただきました。

中井さんは 昭和20年9月15日と言う終戦の1か月後に奈良県にお生まれになります。昭和36年、地元の中学を卒業と同時に大阪に出て乾物屋さんに就職。その年にお父様が亡くなられ自立心が芽生え、苦節12年、高度経済成長が続いていた昭和48年 現在のお店「千房」の1号店を千日前にオープンさせ、大阪の庶民の味を中井さん独特の感性で一流の食べ物に変身させました。現在ではフランチャイズも合わせると全国に62店舗そしてハワイにも出店するなど、幅広くビジネスを展開されています。また事業の傍ら、41歳で高校を卒業。社会問題化している青少年の教育の問題に心を砕き、自らの経験をふまえた独特の持論が社会教育家としても注目を集め、日々全国各地の教育委員会・PTA・経営者団体・企業などでの講演活動ももされてます。そして、これまでの体験を基にした著作もすでに3冊。毎日エネルギッッシュに活躍されている中井さん。今夜は そのエネルギーの源について伺います。

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