おとなの文化村 (195回) 「あのね教育」の教育者 鹿島和夫先生

今夜はおよそ半世紀にわたって小学校の教壇から子供たちにやさしいまなざしを注ぎつけておられる教育者、鹿島和夫先生をお迎えしております。

鹿島先生は昭和10年佐野市生まれの76歳。地元泉佐野で高校まで過ごしたのち神戸大学教育学部を経て神戸市の公立小学校教諭として40年間勤めあげられました。そしてその間に子供たちのものを見る素直な視点に着目。そんな素直な視点をより上手く表現できるようにその力を引き出す独自の教育手法、先生がなづけられたいわゆる「あのね教育」といわれる手法を生み出されます。そして教壇を退かれた現在も「あのね教育」の実践者として講演などの場でこどもたちの未来にやさしい眼差しを投げかけておられます。著書は「みんなのたからもの」「せんせいひみつやで」など多数。また北原白秋賞や読売教育最優秀賞など教育界での受賞も数多く泉佐野が生んだ教育の父とよばれている鹿島先生です。今夜はそんな先生からこどもたちとの向き合い方など長年の教員生活から編み出された「あのね教育」とはなにかを伺います。

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おとなの文化村 (194回) アートディレクター ヤマモトヒロユキさん

今夜は大阪のアートシーンの仕掛け人、アートディレクターのヤマモト・ヒロユキさんをお迎えしています。
ヤマモトさんは 大阪生まれの大阪育ちの41歳。子どものころから絵が大好きだったとか。大学を中退してデザイン専門学校に学んだ後、大阪のデザイン事務所で8年間の修行ののち1993年に独立して株式会社「ピクト」を設立して代表に就任。因みに社名の「ピクト」とは絵文字を意味することばピクトグラムから名付けたられたとか。その活動範囲は幅広くポスター、CDジャケットなど平面のデザインだけでなく、イベント企画などにまで手広く手がけられています。最近では20009年に開催された「水都大阪2009」の当時の市長と知事が水面に大きく浮かんだ奇抜なデザインのポスターが有名ですね。また2006年からは「御堂筋アートグランプリ」の総合プロデューサーも務められていて「未来を担う若いクリエーターを発掘するとともに、エンターテインメントのソフトを創りだす作業にまい進されているヤマモトさん。今夜は大阪の街をカンバスに 世界に向けて発信できるアートをクリエイトし続けているヤマモトさんの仕掛け作りの極意を伺います。

 

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おとなの文化村 (193回) 企業コンサルティング出藍社 松崎光弘さん

今夜は人と企業と地域をつなぐ人材育成コンサルティングの会社、株式会社出藍社、代表取締役松崎光弘さんです。

松崎さんは1965年大阪入舟町(いまの新今宮あたり?)生まれ。府立住吉高校を卒業後神戸大学に入学。同大学の大学院博士課程修了学術博士となる。当時はコンピュータシミュレーションによる地震予知を専門に研究されていて 阪神淡路大震災より前に近畿地方での内陸型大地震発生の可能性を英国の王立学士院(Royal Society)で発表されたそうですがあまり話題にならなかったそうです。そして短期大学の講師、助教授を経て1999年34歳にして南大阪大学(現太成学院大学)経営学部教授に 就任されますが「就職が大学教育のゴール」みたいになっている状況に飽き飽きして教育の世界から離れることにそして2006年大阪府立青少年会館の民間出身初の館長に、ここでは地域や社会にイノベーションを起こせる人の「生態系」をつくる活動に取り組まれ チャレンジプロデューサーの称号を得られますが すぐに青少年会館が廃止の憂き目に・・そこでやむなくチャレンジコミュニティ関係の事業を自力でやることにするための会社出藍社を自ら設立。企業コンサルティング、企業研修:管理会計を活用して、利益をしっかり上げられるオペレーションができる社員の育成やNPOの中間支援組織のコンサルティングなどに携わっておられます。今夜は震災から1年がたった東北地方を舞台にいま手がけられている単に復興というだけではなく、みんながビジネスとしてしっかり稼ぎが生み出せるためのプロジェクトについてもお話を伺います。

 

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