おとなの文化村 (136回) レストラン周 上田泰さん

今夜は 野田阪神でユニークな歌声レストラン、レストラン周(あまね)を経営する上田泰さんです。

上田さんは昭和23年福岡市生まれ。小学校2年生の夏父親の転勤で大阪へ、高校入学祝に音痴の父を産んだひどい音痴の祖母が孫に音楽の夢を託してギターをプレゼント、受験圧力と無縁の気楽な学校だったのでクラシック・フォーク・エレキと高校の3年間ギター三昧、昭和42年大阪市立大学入学と同時に新入生4人でフォークグループを結成、グループリーダーになる。当時盛んだった関西フォークの一翼を担うようになり あちこちのステージや大学祭、深夜ラジオ「MBSヤングタウン」や近畿放送の「フォークフォーク」に出演するなど大活躍。そして3年間のフォーク漬けから足を洗い しっかり勉強して卒業、地域社会に貢献することを目標に 昭和47年大阪府庁入庁。消費者問題3年、行政組織管理6年担当のあと、10年目に大阪府立貿易館勤務となり、以降通算23年間経済・文化国際交流関係業務を担当、1989年には堺市で開催された。国際交流の大イベント「オランダ博 ダッハランド89」の担当として活躍 そして平成20年12月末に大阪府を退職し、家族で株式会社周(あまね)を設立、代表取締役社長就任。出会いと交流の場としてレストラン周を開業、昭和の歌をみんなで歌いたいというお客さまのリクエストにお応えして、学生時代に戻りギター片手に「歌声あまね」を開催。店長の伴奏で思い出の歌、フォーク・童謡・唱歌など350曲のレパートリーで皆様で声をあわせて歌っていただいている日々をすごしておられます今夜はギター持参で得意のノドもご披露いただけるかも・・

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おとなの文化村 (135回) 上方芸能の発行人 木津川計さん

今夜は1968年の創刊以来上方の芸能文化を幅広く取り上げ紹介する雑誌として関西文化発信の一翼をになう月刊誌「上方芸能」の発行人 木津川計さんをお迎えしています。

木津川さんは1935年高知県のお生まれの75歳。大阪市立大学文学部社会学科を1964年に卒業後、1968年、雑誌『上方落語をきく会』を創刊。そして1974年に雑誌の名称を「上方芸能」へと改め、以降は上方落語のほかに能、狂言、文楽、漫才、歌劇など幅広く上方の芸能を扱う雑誌に変身されます。そして以来1999年3月まで編集長をつとめられることになります。また1986年4月からは 立命館大学産業社会学部教授に就任。2006年3月に定年退職されるまで20年にわたって上方の文化芸能を学生たちに講義。主な公職としては 民放連盟賞中央審査委員会審査委員長(2004、5年度エンターテインメント部門)、文化庁芸術祭賞選考委員、文化庁国際芸術交流支援事業 審査委員会副主査、芸術選奨文部科学大臣賞選考委員会 主査ほかを歴任されています。そして現在は雑誌『上方芸能』発行人として上方文化の発信に尽力されている傍ら、和歌山大学観光学部客員教授、兵庫県川西市生涯学習短期大学学長などの教壇に立ちながら同時に「一人語りの長谷川伸劇場」「木津川計の一人語り劇場」を主宰され舞台にあがられたり NHKラジオで「木津川計のラジオエッセイ」としてDJとしても活躍されている木津川さんです。今夜は 木津川さんの上方の文化にかける思いをじっくりと伺います。

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おとなの文化村 (134回) 家電コレクター 増田健一さん

今夜は先週のインフォメーションコーナーでご紹介した「昭和レトロ家電展」でいま話題の家電コレクター増田健一さんをお招きしています。

増田さんは昭和38年大阪千林のカメラ屋さんの長男として生まれます そして中学生のころ、部活帰りの夕方に自宅で聴いていたKBS京都の上岡龍太郎サンの番組「懐メロ歌謡曲」で昭和の30年代そして昭和歌謡の世界にハマることになります。そのご高校生となった増田少年は心斎橋パルコで開催されていた骨董イベントで戦後の占領時代を意味するオキュパイド・ジャパンと記されたデミタスカップを手に入れ、それがコレクターの道に入るきっかけとなり、昭和57年に現在のJR当時の国鉄に入社し、車掌・運転士として活躍しますが、やはりそこはそれ 休日には古いものを探して京阪神はもとより名古屋や東京まで足を伸ばす毎日・・病紅毛とはこのことで、ついに平成14年には長年勤めたJR西日本を退職し、行きつけの京都の骨董品店に転職し、古いものの目利きの技術を習得。そして現在は長年にわたって収集してきた昭和レトロ家電の整理・研究の日々を送る毎日の増田さんです。今夜はコレクター道とはどのようなものなのかを熱く語っていただきます。

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