おとなの文化村(628) カモメ・ラボ 今村譲人さん

今夜のお客様は「カモメ・ラボ」代表、建築家の今村謙人さんです。

今村さんは1985年6月生まれ、35才。2011年、大阪市立大学大学院 工学研究科 都市系専攻 建築デザイン・宮本 研究室を修了し設計事務所に入社しますが一年で解雇。その後は内装や工務店、飲食店やホテルの住み込みの仕事をつづけ、韓国人の奥様と結婚。2015年、夫婦で1年間をかけて「世界一周新婚旅行」、26か国を回りました。そこで様々な「屋台」と出会い、メキシコの路上で焼き鳥屋台を始め、国内の各地でもローテクな「可動建築」を試みへと続きます。2017年、カモメ・ラボ設立。屋台を作り、出店もし、モノや人を繋げたり場のにぎわいを作る小さなエリアの活動から、まちや都市のこれからの未来をつくる社会実験のコーディネートなど大きなスケールまで、いろんなスケールに接続する活動を続け、2019年、「住まいをデザインする顔-関西若手の仕事-」展出展。2019年、山田幸司賞・特別賞を受賞されました。今日は、なんと移動式屋台をスタジオに持ち込んでのご出演です。

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おとなの文化村(627) 新日本海新聞(大阪日日新聞) 畑山博史さん

今夜のお客様は「新日本海新聞大阪本社(大阪日日新聞)」主幹、畑山博史さんです。

畑山さんは1950年1月、大阪市天王寺区のお生まれ。1972年、同志社大学社会学部メディア学科(当時の文学部社会学科新聞学専攻)卒業後、毎日新聞社入社。大阪社会部記者として「三菱銀行北畠支店事件」、「怪人21面相・グリコ森永事件」「日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故」、「豊田商事事件」などを担当。大阪運動部編集委員として「阪神タイガース」と「大相撲」を担当。大阪学芸部編集委員として「吉本興業」と「映画」などを担当と活躍されました。その後、夕刊編集長、鳥取、大津の支局長を経て2000年、50歳で毎日新聞社を選択定年退職。そして2000年、鳥取県の新日本海新聞社に入社。旧夕刊紙「大阪日日新聞」を傘下に収めたことから関連の運営会社に出向、取締役編集局長就任。「日本海新聞」取締役編集制作局長。「日本海新聞」取締役兼「大阪日日新聞」常務取締役を務め、組織改編により2008年2月、新日本海新聞社取締役大阪本社代表に就任。2014年10月、取締役を退任、常勤顧問を経て、大阪本社主幹として活動されています。また、京都橘大学「時事問題研究」、大阪学院大「キャリアデザイン」「フレッシュマンスキル」の講座講師として教鞭をとるほか、吉本興業と文化人タレント契約し、テレビコメンテーターとして「ブラマヨの弾話室」(BSフジ)出演するなどなど、その幅広い活動はノイリンとのトークでじっくりお伺いすることといたしましょう。

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おとなの文化村(626) 大阪市立磯路小学校校長 糸井利則さん

今夜のお客様は「大阪市立磯路小学校校長」、糸井利則さんです。

糸井先生は1961年大阪市東住吉区生まれ。東住吉高校から大阪教育大学に進学。在学中に自転車で日本一周、その延長で石垣島から台湾に渡り初海外を経験。翌年、自転車台湾一周の時に、日本人がいないのに日本語で生活している村に出会い衝撃を受け、卒論のテーマを「台湾に残る日本語」と決め、休学して台湾に留学、タイヤル族の家にホームステイをしました。卒業後、奈良県吉野郡川上村で小学校講師を1年、翌年1988年はソウルオリンピックのため韓国へ1年留学。帰国後、大阪府立泉大津高校で古文現代文の講師をつとめた後、アメリカテネシー州の日本人学校補習校現地採用で渡米。2年後、ニューヨークへ出てウェイターをしながら大学院入学準備、1993年、ニュージャージー州立大学修士課程入学、観光ガイドをしながら1995年に修了。1996年中南米一周後帰国し、八尾市立大正中学校で国語科講師を務めました。そして結婚、大阪市教員採用試験合格、1997年には長男誕生と人生を歩み、大阪市立池島小学校に新任教員として着任。平野小学校、真田山小学校を経て敷津小学校教頭に就任、2016年から敷津小学校校長を務め、今年2020年、磯路小学校校長に転任されました。この間、コロナウイルス感染拡大による学校の一斉休業を受け、3月4日から休校中の子どもたちにyoutube動画配信「がらがらボイス」をスタート。新任校でも緊急事態宣言の4月8日から5月31日まで第二期がらがらボイスを続けて来られました。学校再開のいまは週一回のペースで配信をつづけている糸井校長、今日は「大人の文化村スタジオ」から配信していただく予定です。

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