Category: ゲスト紹介

おとなの文化村 (141回) 大阪松竹座の支配人 牧原広幸さん

今夜のゲストは1923年(大正12年)に大阪道頓堀に誕生して今日まで 様々な芸能文化の発信基地として発展してきた大阪松竹座の支配人、牧原広幸さんです。

牧原さんは昭和33年岡山県のご出身。昭和55年(1980年)地元の岡山大学を卒業後。すぐに松竹株式会社に入社。最初の配属先はいまはなき道頓堀中座での団体係。そこでは藤山寛美さんの松竹新喜劇を見ようとひっきりなしにやってくる観劇の団体さんのお世話でした。そしてその後は 京都南座と道頓堀中座を行ったり来たり、しながら団体係の仕事を続けられます。そして平成2年には道頓堀中座の副支配人となりますが 翌年の平成3年にはお芝居の制作部門である関西演劇部演劇製作室に転属。ここで制作者としてのイロハを勉強した後、再び平成11年に京都南座の副支配人に就任しますが なんとその年に思い出深い道頓堀中座が泪の閉館。そしてその翌年、関西演劇部の演劇製作室長となり数多くの作品に携わることとなります。そして平成22年に大阪松竹座の支配人となられ 道頓堀の顔である「大阪松竹座」を通じて大阪の地域活性化の一翼を担っておられます。今夜は長年にわたってみてこられた大阪・道頓堀を語っていただきます。

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おとなの文化村 (140回) ポップタウン住通オペラパーク 大川真一郎さん

今夜のゲストは昨年10月JR学研都市線住道駅前にオープンしたスペインをイメージさせたいま話題の大型の地域密着型ショッピングセンター「ポップタウン住道オペラパーク」のデベロッパー、大川創業代表取締役の大川真一郎さんです。
大川さんは昭和8年4月のお生まれですからまもなく78歳。昭和32年に大阪大学工学部電気工学科を卒業され、三洋電機に入社。12年間の開発技術者生活の間に、いまは普通となった2ドア冷蔵庫を日本で初めて開発するなど、ヒット商品を連発・・ そして昭和44年に大川家の本家の家業の跡継ぎとなるために三洋電気を退社。そして昭和46年に現在の大川創業を設立し社長に就任。以来現在までショッピングセンターの運営を中心にした社業を40年にわたって続けておられます。また社業以外では、地元大東市の商工会議所の会頭を務められた。ほか昭和60年からおよそ20年にわたって 関西フィルハーモニー管弦楽団の代表としてオーケストラの育成にも携わるばかりでなく、ご自身も学生時代から続けるクラリネットもプロ級の腕前だとか・・「地域社会に夢とロマンを・・」をモットーに 現在はオペラハウスのある街を目指して 平成25年オペラハスウのオープンに向けて夢に向かってひた走る大川さんです?今夜は その大きな夢を熱く語っていただきます。

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おとなの文化村 (139回) DJで遊歩人 久路流平さん

今夜のゲストはDJで遊歩人のタレント クージーのニックネームでもおなじみの久路流平さんです。

1957年8月14日生まれの大阪市出身。通称COOZY(クージー)と呼ばれる。二十五歳の頃からタレント活動をしながら、年に2、3度、90カ国の渡航経験を持つ。「なぜ旅をするのか?」と問われれば、僕は「楽しいから」と答える。自他ともに認める快楽主義者である僕は、「快楽」を求めて旅に出る。ただし僕にとっての「快楽」が、他人の眼には「苦行」としか映らないこともままある。未舗装のデコボコ道を、日本ではとっくの昔に廃車になっている様なオンボロ車にぎゅうぎゅう詰めになって、10時間揺られてる。一日の温度差が30度近い砂漠地帯で野宿する。政情不安な国で何もしていないのに警察に拘束される。強盗に襲われる事もあれば、救急車で病院に運ばれる事もある。僕の旅にはそんな事が日常茶飯事だ。でも、そんな事は過ぎてしまえば全ては楽しい思い出だ。嫌な思いをする事はあっても、必ずそれを補って余りあるほど優しい人達が現れる。記憶に残るのは、それらの優しい人達、楽しい人達との思い出ばかり。 そして、彼らは僕にいろいろな事を教えてくれる。と言っても、決して難しい事ではない。例えば、助けて貰ったら、お礼を言う。間違ったと気付けば、「ごめんなさい」と素直に謝る。そんな事を教えて貰う。簡単そうで、実は難しいこと。それこそが、人が生きて行く為に必要な事だと思う。僕にとっての旅は、「人生を学ぶ旅」でもあるのだ。でも僕はまた、快楽を求めて旅に出るだろう。それは決して特別なものではない。僕が趣味とする、散歩と日向ぼっこの延長としての旅だ。

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