Category: ゲスト紹介

おとなの文化村 (135回) 上方芸能の発行人 木津川計さん

今夜は1968年の創刊以来上方の芸能文化を幅広く取り上げ紹介する雑誌として関西文化発信の一翼をになう月刊誌「上方芸能」の発行人 木津川計さんをお迎えしています。

木津川さんは1935年高知県のお生まれの75歳。大阪市立大学文学部社会学科を1964年に卒業後、1968年、雑誌『上方落語をきく会』を創刊。そして1974年に雑誌の名称を「上方芸能」へと改め、以降は上方落語のほかに能、狂言、文楽、漫才、歌劇など幅広く上方の芸能を扱う雑誌に変身されます。そして以来1999年3月まで編集長をつとめられることになります。また1986年4月からは 立命館大学産業社会学部教授に就任。2006年3月に定年退職されるまで20年にわたって上方の文化芸能を学生たちに講義。主な公職としては 民放連盟賞中央審査委員会審査委員長(2004、5年度エンターテインメント部門)、文化庁芸術祭賞選考委員、文化庁国際芸術交流支援事業 審査委員会副主査、芸術選奨文部科学大臣賞選考委員会 主査ほかを歴任されています。そして現在は雑誌『上方芸能』発行人として上方文化の発信に尽力されている傍ら、和歌山大学観光学部客員教授、兵庫県川西市生涯学習短期大学学長などの教壇に立ちながら同時に「一人語りの長谷川伸劇場」「木津川計の一人語り劇場」を主宰され舞台にあがられたり NHKラジオで「木津川計のラジオエッセイ」としてDJとしても活躍されている木津川さんです。今夜は 木津川さんの上方の文化にかける思いをじっくりと伺います。

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おとなの文化村 (134回) 家電コレクター 増田健一さん

今夜は先週のインフォメーションコーナーでご紹介した「昭和レトロ家電展」でいま話題の家電コレクター増田健一さんをお招きしています。

増田さんは昭和38年大阪千林のカメラ屋さんの長男として生まれます そして中学生のころ、部活帰りの夕方に自宅で聴いていたKBS京都の上岡龍太郎サンの番組「懐メロ歌謡曲」で昭和の30年代そして昭和歌謡の世界にハマることになります。そのご高校生となった増田少年は心斎橋パルコで開催されていた骨董イベントで戦後の占領時代を意味するオキュパイド・ジャパンと記されたデミタスカップを手に入れ、それがコレクターの道に入るきっかけとなり、昭和57年に現在のJR当時の国鉄に入社し、車掌・運転士として活躍しますが、やはりそこはそれ 休日には古いものを探して京阪神はもとより名古屋や東京まで足を伸ばす毎日・・病紅毛とはこのことで、ついに平成14年には長年勤めたJR西日本を退職し、行きつけの京都の骨董品店に転職し、古いものの目利きの技術を習得。そして現在は長年にわたって収集してきた昭和レトロ家電の整理・研究の日々を送る毎日の増田さんです。今夜はコレクター道とはどのようなものなのかを熱く語っていただきます。

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おとなの文化村 (133回) 開高健展実行委員会 福岡美彦さん

今夜のお客様は来る2月11日から難波パークスにて開催されます 大阪が生んだ偉大な作家の一人である「開高 健」にスポットをあてたイベント大阪市立大学創立130周年記念「生誕80年 大阪が生んだ開高健展」の実行委員会から福岡美彦さんにおこしいただきました。

開高健は1930(昭和5)年に大阪に生まれ、1953(昭和28)年に大阪市立大学法文学部を卒業しました。卒業後は寿屋(現サントリー)で斬新なコピーを量産する一方で創作活動にいそしみ、1958(昭和33)年に『裸の王様』で第38回芥川賞を受賞しました。その後も、ルポやドキュメンタリー、釣り文学の書き手としても新しい地平を開き、『ベトナム戦記』『オーパ!』などの数々の名作を世に送り出しましたが、1989(平成元)年、食道がんのため、58歳の若さでこの世を去りました。そして没後20年をきっかけに、今また開高文学の再評価の動きが活発になっており 母校である大阪市立大学において彼の生誕80年を迎えるのを機に、人間・開高健をはぐくみ、その作家精神を醸成させた「開高の大阪」に光を当てて、その業績を振り返るプロジェクトが立ち上げあれました。今夜は実行委員会から福岡さんにおこしいただき、このプロジェクトについてお伺いします。

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