なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(026)
ギターを抱えて男はふり絞った声で歌っていた…が、彼の歌を聴くお客はほとんどいない。曲間のお喋りもその態度もシャイな感じだった。30 分のステージを終えて“ギターの先生”といわれていた彼は次のお店に向かっていった。毎夜2、3軒を梯子するそうだ。ここは京都は祇園のクラブ。男にとって記憶の中からゴシゴシ消しとりたい毎日だったのだろうか?
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「吉川さん、上手い歌手がいるから一回聴いて下さいヨ!」。1976年のある日、キングレコードのプロモーターTさんに誘われたヨッサンは祇園のクラブにやって来ました。お客さんはTさんとヨッサンと数えるほど、確かに上手い…まさか、この男が関西を代表するシンガーソングライター、タレント、司会者になろうとは、そして1年後にこの男と一緒に新幹線に乗って東京まで行くことになろうとは…その男の名は“やしきたかじん”。
1971年に京都レコードから「娼婦和子」でデビュー。これがとんでもない内容(近親相姦)と今の日本では“娼婦”などという職業は存在しないことから発売禁止に。その後、「ゆめいらんかね」が大ヒット。宝塚歌劇団の演出家・草野亘がこの正式なデビュー曲に聴き惚れ、その歌唱力と作曲センスを買って、1977年、宝塚史上初となる鳳蘭リサイタルにたかじんからの楽曲提供を依頼…するだけでなく…なんと宝塚の舞台に登場させ…これまた史上初の快挙をなしとげたのです。
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リサイタルから数カ月後、“宝塚スターの会いたい人”の番組コーナーを収録する為、たかじんとディレクターのヨッサンは東京への日帰り出張と相成りました。宝塚スターはツレちゃん。ツレちゃんが会いたい人…今回はやしきたかじん。1 977年9月25 日、よっさんとたかじんはTBSのスタジオへ向かったのです。
鳳「今晩は。星組の鳳蘭です。大阪のリサイタルでは本当にありがとうございました。今日は私の隣に素敵なリサイタルのパートナー、ゲスト、やしきたかじんさんをお迎えしています。やしきさん、あの時は本当にありがとうございました」
たかじん「こちらこそ」
鳳「やしきさんが舞台でネ、とっても女っぽかったって、私のファンの人がみんな言うんですヨ!」
たかじん「そうしゃなカッコとれへんかったんヨ!」
鳳「照れ隠しで女っぽくなったのネ?」
たかじん「実際は男らしいですけど」
鳳「最初、スゴイ、きどってねェ、お稽古場に入ってきた時、音程も、もうスゴイ上ずって、ものすごう上がってたみたい!」
たかじん「入るだけやったら上がれへんけど、その…出るいう頭があるでしょう?」
鳳「ダンス、ほら!」
たかじん「あれが苦労したわ」
鳳「司このみ先生。こわかったでしょう?」
たかじん「オニみたいな人やッ!ビビりましたわ!(鳳、笑い)初めはねェ、“歌作ってもらえますか?”いうて来たんですネ。僕は1曲ぐらいやったからOKしたんですわ。その内、だんだん曲数が増えてきて…」
鳳「うん、うん」
たかじん「3曲、4曲、5曲になってきてね。作るぐらいやったらいいだろうということで、今度は“次、1曲、歌うてもらえますか? ” となってん。エッ?まァ!歌うんか、いう感じで、舞台に出たら上がるやろうな、いうような感じで。ほんな今度やね“踊ってもらえますか?”」
鳳「は、は、は…」
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…宝塚のトップスターに歌を作り、一緒に舞台に上がることが出来るなんて、こんな名誉なことってあるでしょうか⁉しかし、当時のたかじんにとって名誉よりも〇〇!取材を終えた帰りの新幹線で、たかじんがこうノタマッタ“ 先輩!この日の出張費でるんですか?”“でるで!35 00円が…”たかじんは子供のように喜んだ! (よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)
ヨッサンが出演・プロデュースした阪急アワー「あなたと夜と音楽と」500回記念生放送でも、歌を披露してくれた、たかじん。