今夜のお客様は「おおさかシネマフェスティバル実行委員長」の高橋聡さんです。
高橋さんは昭和21年、福岡県直方市のお生まれ。昭和46年に新大阪新聞社に入社し、その後フリーで活動した後、平成3年に大阪日日新聞に入社、現在編集委員。学芸部で映画・芸能一筋で、文化芸能関係を担当されてこられました。おおさかシネマフェスティバルは、1976年「第1回映画ファンのための映画まつり」から始まり、第11回から「おおさか映画祭」と名称を変更。一時中断した期間もありましたが、2006年に現在の「おおさかシネマフェスティバル」として再開、今年で通算41回目を迎えます。 「映画ファンための映画まつり」と冠しているように、関西の映画ファンが年1回集まってわいわいやるお祭り、映画人と映画ファンをつなぐ映画祭として続けられています。大阪市の助成を受けて2014年までは「大阪アジアン映画祭」の1部門として開催されましたが、2015年から独立。開催場所も第1回の関西電力ホールに始まり転々、おおさかシネマフェスティバルでは大阪歴史博物館などを経て、いまは堂島の「ホテルエルセラーン」で開催されています。今夜は長年にわたり映画に情熱を注いでこられた高橋さんの「おおさかシネマフェスティバル」にかける思いをたっぷりと語っていただきましょう。

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今夜のお客様は北浜「和み」の文化スペース KITA LI CITE主宰 & 箏・三絃奏者の土井博子さんです。
土井さんは1960年 大阪府八尾市のお生まれ。地元の小中学校を経て、大阪府立八尾東高校(現在の府立八尾翠翔高校)、近畿大学(法学部 法律学科)を卒業されました。学業と同時に、箏(こと)、十七絃(じゅうしちげん)、地唄三味線(じうたしゃみせん)を宮城道雄直門(じきもん)の師匠に付いて学び、現在「大師範」。国内外の様々なコンサートやイベントで演奏し、指導をされています。そして、大阪に本社があるゼネコンを退職後、以前からお知り合いの「大阪まちプロデュース」山根秀宣さんの協力で、北浜に「日本文化を気軽に紹介できるサロン-キタリシテ」を共同でオープン、プロデューサーとして活躍されています。また、1997年に行われた「大阪帆船まつり」終了後に、参加したボランティアで「大阪帆船と国際交流の会(セイルオー)」を設立。4年間代表を務め、大阪市港湾局や大阪港振興協会と、大阪港へ訪れる帆船や客船の乗客、乗員に大阪の情報提供や日本文化の紹介を続けるなど多彩な活動をつづける土井博子さん。「大阪は大阪らしい文化の香る街であってほしい」、そんな土井さんの日々の活動や夢をたっぷりと語っていただきたいと思います。

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今夜のお客さまは「大阪まちプロデュース」主宰、山根秀宣さんです。
山根さんは昭和40年大阪のお生まれ。追手門学院高校から、都市経営の先進都市・神戸の甲南大学に進学。甲南大学では学生会館の活性化イベントに関わり、学園祭ステージ企画で初めて民間スポンサーをつけるなど活躍。卒業後、建設コンサルタント会社を経て家業のビル・マンション賃貸業につき、平成9年法人化。購入したビルをまちの魅力に合わせて再生するほか、全国の賃貸マンション初のNTT光VDSL無償導入などで不動産界に新風を送ってこられました。平成10年から「大阪まちプロデュース」として、市民の立場からのまちづくり提言活動を始められます。そしてNPO法人「街屋集団」として府の事業コンペで優勝。「みんなに優しい水辺の提案」を実施。空堀商店街界隈長屋再生プロジェクト「からほり倶楽部」の設立、アートイベント開催に参画。転貸による長屋再生複合ショップ「惣so」の立上げや市民による「直木三十五記念館」の設立。「水都の会」で道頓堀遊歩道の御堂筋アンダーパス提案。北浜水辺協議会 事務局長として 河川敷に日本初の常設川床「北浜テラス」を実現されたほか、まち歩き企画「OSAKA旅めがね」を設立し、藤田男爵のツアーでは8年で1000名の方が参加されています。大阪各地のまちづくり情報をつなげるメルマガの発行。「大阪力事典」 「上町学 再発見・古都おおさか」「ひとが優しい博物館」の出版に関わるなど日々、本業のかたわら大阪の活性化に取り組んでおられます。

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