Category: ゲスト紹介

おとなの文化村(627) 新日本海新聞(大阪日日新聞) 畑山博史さん

今夜のお客様は「新日本海新聞大阪本社(大阪日日新聞)」主幹、畑山博史さんです。

畑山さんは1950年1月、大阪市天王寺区のお生まれ。1972年、同志社大学社会学部メディア学科(当時の文学部社会学科新聞学専攻)卒業後、毎日新聞社入社。大阪社会部記者として「三菱銀行北畠支店事件」、「怪人21面相・グリコ森永事件」「日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故」、「豊田商事事件」などを担当。大阪運動部編集委員として「阪神タイガース」と「大相撲」を担当。大阪学芸部編集委員として「吉本興業」と「映画」などを担当と活躍されました。その後、夕刊編集長、鳥取、大津の支局長を経て2000年、50歳で毎日新聞社を選択定年退職。そして2000年、鳥取県の新日本海新聞社に入社。旧夕刊紙「大阪日日新聞」を傘下に収めたことから関連の運営会社に出向、取締役編集局長就任。「日本海新聞」取締役編集制作局長。「日本海新聞」取締役兼「大阪日日新聞」常務取締役を務め、組織改編により2008年2月、新日本海新聞社取締役大阪本社代表に就任。2014年10月、取締役を退任、常勤顧問を経て、大阪本社主幹として活動されています。また、京都橘大学「時事問題研究」、大阪学院大「キャリアデザイン」「フレッシュマンスキル」の講座講師として教鞭をとるほか、吉本興業と文化人タレント契約し、テレビコメンテーターとして「ブラマヨの弾話室」(BSフジ)出演するなどなど、その幅広い活動はノイリンとのトークでじっくりお伺いすることといたしましょう。

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おとなの文化村(626) 大阪市立磯路小学校校長 糸井利則さん

今夜のお客様は「大阪市立磯路小学校校長」、糸井利則さんです。

糸井先生は1961年大阪市東住吉区生まれ。東住吉高校から大阪教育大学に進学。在学中に自転車で日本一周、その延長で石垣島から台湾に渡り初海外を経験。翌年、自転車台湾一周の時に、日本人がいないのに日本語で生活している村に出会い衝撃を受け、卒論のテーマを「台湾に残る日本語」と決め、休学して台湾に留学、タイヤル族の家にホームステイをしました。卒業後、奈良県吉野郡川上村で小学校講師を1年、翌年1988年はソウルオリンピックのため韓国へ1年留学。帰国後、大阪府立泉大津高校で古文現代文の講師をつとめた後、アメリカテネシー州の日本人学校補習校現地採用で渡米。2年後、ニューヨークへ出てウェイターをしながら大学院入学準備、1993年、ニュージャージー州立大学修士課程入学、観光ガイドをしながら1995年に修了。1996年中南米一周後帰国し、八尾市立大正中学校で国語科講師を務めました。そして結婚、大阪市教員採用試験合格、1997年には長男誕生と人生を歩み、大阪市立池島小学校に新任教員として着任。平野小学校、真田山小学校を経て敷津小学校教頭に就任、2016年から敷津小学校校長を務め、今年2020年、磯路小学校校長に転任されました。この間、コロナウイルス感染拡大による学校の一斉休業を受け、3月4日から休校中の子どもたちにyoutube動画配信「がらがらボイス」をスタート。新任校でも緊急事態宣言の4月8日から5月31日まで第二期がらがらボイスを続けて来られました。学校再開のいまは週一回のペースで配信をつづけている糸井校長、今日は「大人の文化村スタジオ」から配信していただく予定です。

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おとなの文化村(625) 大阪大学教授 橋爪節也さん

今夜のお客様は大阪大学教授「橋爪節也」さんです。

橋爪さんは1958年、大阪島之内のお生まれ。東京芸術大学美術学部、大学院美術研究科を終了後、東京芸術大学助手を経て大阪市立近代美術館建設準備室主任研究員をつとめ、現在は大阪大学社学共創本部教授、総合学術博物館・大学院文学研究科を兼任されています。近世・近代の美術史を研究、「モダン道頓堀探検」「モダン心斎橋コレクション」「大大阪イメージ」「戦後大阪のアヴァンギャルド芸術」など多数の大阪に関する著作をはじめ、企画展の監修、ドラマの時代考証なども手掛けられています。今夜は最新刊の「橋爪節也の大阪百景」「商業デザインにみる大大阪~大正・昭和レトロチラシ」など、お伺いしたいと思います。橋爪節也さん、この番組が始まった2008年7月にご出演いただいてから12年ぶりのご登場です。

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