阿倍野研究家で「天王寺蕪の会」事務局長の難波りんごさんにおこしいただいています。
難波さんは1955年大阪市出身。神戸女学院大学文学部英文学科卒業。1989年にタウン紙『おかあさんチョット…』阿倍野区版編集長を担当したのを機に郷土史の調査・研究を始め、阿倍野区の沿革や埋もれた史跡を発掘して地域情報紙などに発表。学校・地域の要請で講演活動を展開。2000年『もうちょっと知っとく?私たちの阿倍野』(新風書房)を出版 学校で地域学習に使用されるほか、地域の住民にも愛読されている。1995年大阪の伝統野菜である天王寺蕪が野沢菜の先祖であることを発表。マスコミで報道されて以来「なにわ伝統野菜」が一躍有名になり、現在は「天王寺蕪の会」事務局長として野沢温泉村との友好交流を継続中。先ごろは大阪四天王寺から長野県野沢温泉村まで520kmを23日かけてリレー方式で歩きそのルーツを探る旅を敢行。主な著書には『あべの昔話 鬼はどこへ消えた?!』(新風書房)、共著に『ごめんやす「おおさか弁」』(リバティ書房)、『大阪力事典』(創元社)などがあります。また今週金曜日には大阪を歩いて知るイベント「大阪あそ歩」の阿倍野エリアコースを担当するなど地域に根ざした活動を続けていらっしゃる難波さんです。
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今夜は大阪をそして関西を世界の映像産業の中心地にという壮大な計画を掲げて10年前に旗揚げされたNPO法人アートポリス大阪協議会の理事で、関西電力株式会社地域共生本部部長の梅田哲さんです。
NPO法人アートポリス大阪協議会は15年前に「10兆円映像産業の拠点を大阪に!」を合言葉に、大阪青年会議所の感性都市委員会(当時委員長:サントリー(株)鳥井信吾氏)の有志10名で活動をスタートさせた組織が母体となり1990年2月に設立。そして2003年にNPO法人を取得・人材を育て、関西に在住するシステムやプロジェクト、人材を結び、大阪・関西を日本のソフト発信基地としてだけでなく、世界の情報発信基地にまで育てていくことを目的として「映像力で大阪をもっと元気に!!」を合言葉に活動されている組織です。今夜はその活動について幅広くご紹介をいただきます。
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今夜は、いま話題のビッグなプロジェクト見学の人が引きもきらない神戸新長田駅前の鉄人プロジェクトのプロデューサー岡田誠司さんです。
岡田さんは1959年、神戸市生まれ。近畿大学経済学部卒業後、上京。ミュージシャン「M-BAND」として、エピックソニーよりデビュー。そのご関西に戻り、広告代理店に勤務。営業なのに、TVCMの音楽を自ら作っている内に退社、フリーで商業音楽の制作を始める。そして平成元年、日本においてライブハウスという名前を定着させた知る人ぞ知るビッグな会社。アームエンタープライズ(株)に勤務。ライブホールやエンタテインメント施設のプランニングを中心にインディーズレーベルの主催やイベント&音楽制作に従事する。そして神戸市・新長田でライブホールのプランニングと運営業務に係わるなかで、同地域の活性化活動に参加、その中から神戸鉄人プロジェクトがうまれ、プロデューサーとしてその実現に尽力し現在にいたっています。今夜は夢に溢れたビッグなプロジェクトを実現させた、オモテの話やウラの話などをいっぱい語っていただきます。
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