日本のフォークの歴史を彩るアーティスト特集!
今週はも懐かしの楽曲を集めて紹介します。
1.「あなた」(1974)小坂明子
2.「私は泣いています」(1974)(リリィ
3「少女」(1972)五輪真弓
小坂明子
1973年 、ヤマハ音楽振興会主催の第6回ポピュラーソングコンテスト並びに第4回世界歌謡祭にて、自身の作詞作曲による「あなた」でグランプリを受賞。12月に「あなた」でプロデビュー。 1974年 「あなた」が200万枚を超える大ヒット。第2回サンプラザ音楽祭では熱演賞グランプリを受賞した。年末にはNHKの『第25回NHK紅白歌合戦』(NHK総合・ラジオ第1)にも出場した。なお、このとき指揮を務めたのは父の小坂務であ。
りりィ
1952.2.17.福岡県出身。自作の歌をスナックで歌っていたのがきっかけで、72年にアルバム「たまねぎ」でシンガー・ソングライターとしてデビュー。女性としての気持ちを飾らない自分の言葉で描いた楽曲をハスキーなヴォーカルで歌い、『たまねぎ』『ダルシマ』などの佳作をリリース、次第にファンを増やしていきました。代表的なヒット曲としては、74年の「私は泣いています」があります。「りりィ」という芸名はブラブラしているときに仲間が付けたあだ名が元で「ィ」がカタカナなのは自分でなんとなく変えたという。その後、子育てのため一時音楽活動をストップしていましたが,活動を再開。女優としても活躍。晩年は肺がんと闘病し、定期検診で静養が必要と診断され、2016年5月からライブ活動を中止していた。2016年11月11日、死去した。64歳没。
独特のハスキーヴォイスで注目される。本来は3オクターブの音域を持つ美声だったが[5]、風邪をひいた日に2升近く日本酒を飲み、朝まで歌い続けたら翌日声が潰れたという。
五輪真弓
五輪真弓の記念すべきデビュー・アルバム。キャロル・キングなどがバックを務め、当時、新人としては異例のカリフォルニアで録音された衝撃のデビュー作である。
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今週はも懐かしの楽曲を集めて紹介します。
1.夢想花 (1978年)円広志
2.大阪で生まれた女(1979年)BORO
3.「いちご白書」をもう一度(1975年)バンバン(ばんばひろふみ)
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今週は懐かしの楽曲を集めて紹介します。
1.小さな日記 フォー・セインツ
2.或る日突然 トワ・エ・モワ
3.白いブランコ ビリーバンバン
フォー・セインツ
1960年代後半に一世を風靡したカレッジ・フォーク・グループの草分け的存在。成蹊高等学校の文化祭で結成された。ラジオ番組『フォーク・ビレッジ』で実力派として注目され、1968年のデビュー・シングル「小さな日記」が20万枚[1]または80万枚[2]の大ヒット。しかし直後に加賀一兄が脱退。後に、レコード会社の移籍に伴い、フォー・クローバースと改名するが、1973年に解散。のちにメンバーであった荒木生徳は、荒木しげるとして俳優に転身した。上原徹(ボーカル、ギター) 志賀正浩(ベース)- 第1期は宮川昌浩名義で活動。元メンバー編集 加賀一兄(ピアノ) 荒木しげる(ドラムス) – 第1期は荒木生徳名義で活動。解散後は俳優に転身。2012年4月14日没。 ダニー石尾(ボーカル、バンジョー、ギター)- 本名の石尾豊名義でソロ歌手としても活動。1993年のJリーグ発足から鹿島アントラーズのホームゲームのスタジアムDJを2013年まで務めた[2]。2014年2月27日に肝臓癌の闘病のため休養を発表[2]。同年4月15日没。この曲は、作詞した原田晴子さんの恋人が山で遭難し、亡くなってしまった実話を基に創られた悲しい曲です。
トワ・エ・モワ
山室(現・白鳥)英美子(しらとりえみこ)と芥川澄夫(あきたがわすみお)は1968年頃から東京西銀座のミュージック・スポット「メイツ」でギター片手に別々に活動をしていた[1]。同年末、スクールメイツのメンバーだった白鳥と、歌手志望だった芥川の二人で結成された[2]。渡辺プロダクション(現ワタナベエンターテインメント)より、「或る日突然」(東芝音楽工業/1969年5月10日発売)でデビューしこれが大ヒットとなった。1973年6月に解散。1973年NHKあなたのメロディー最終回で期間限定再結成。25年後1998年長野オリンピック記念イベントで再結成
ビリーバンバン
兄:菅原 孝(すがわら・たかし、1944年8月7日 – 2025年9月11日[2]):ボーカル・コントラバス担当。慶應義塾大学中退。 弟:菅原 進(すがわら・すすむ、1947年9月21日 – ):ボーカル・ギター担当。青山学院大学中退。特色として、弁舌さわやかな兄の孝と、口下手な弟の進という対照的な2人のコンビとなっている。また、一般人の長兄がおり3人兄弟の次男と三男の兄弟デュオである。1965年6月、浜口庫之助が主催するミュージックカレッジで歌、リズム、作曲を学ぶ[3]。1966年、当時青山学院大学の学生であった進が友人達四人組のバンドとして結成。翌1967年にメンバーチェンジが行われ、孝とパーカッションのムッシュ中野(後のせんだみつお[注釈 2])の三人組のバンドとなる。1968年5月、孝と進による兄弟デュオとしてビリーバンバンを再編成。1969年1月、シングル「白いブランコ」でキングレコード(SEVEN SEAS)よりメジャーデビュー。20万枚を超える売上となり[5]、一躍フォークシンガーの代表的存在として人気を得る。この曲は当初「星空のハプニング」のB面曲として発表される予定であったが、ニッポン放送のディレクター井村文彦のアドバイスにより、発表直前にA面とB面が入れ替えられたというエピソードがある[6]。レコーディングで曲の冒頭にトランペットが勝手に入れてあり、これに怒った進がスタッフに抗議したという話がある[要出典]。一方の孝は、与えられた曲を歌えばいいという考えで特に何も言わず、進のフォローに回ることが多かった。
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