今夜のお客さまは「大阪古書組合監査役・関西古書研究会副会長」で「古書あじあ號」店主の岡田栄一さんです。
岡田さんは吹田生まれの阿倍野育ち、府立今宮高校から天理大学へ進み、外国語学部イスパニア学科を卒業後、全音楽譜出版社、洋書の株式会社関西書店に勤務されました。お父様が製本業をされていた影響で、いつかは本屋の世界に入りたいとの思いから、昭和59年に独立して岡田書店を開業。同時に「大阪府古書籍協同組合(大阪古書組合)」に入り、本格的に古書籍(古本屋さん)の勉強に取り組まれました。大阪古書組合に入り10年目に経理部長、平成12年に専務理事、16年に第十四代理事長に就任、4期8年を務められました。この間、古本屋を初めて3年目の時「八尾西武百貨店の第四回古書即売会」に初参加。この即売会は18回まで続き、後に「関西古書研究会」となって、今日ご紹介する「四天王寺古本祭り」の母体となっていきました。本離れ、活字離れと言われる昨今の風潮に対抗して、書物を糧とし読書を愛する人々を応援することをテーマに、仲間の方々とさまざまな取り組みを続けておられます。四天王寺さん、そして多くの人たちの幅広い応援をうけ、秋の古本祭りは18回目、春の古本祭りは今年16回目。読書好き、愛書家、研究者、大学の先生古文書(こもんじょ)を読む会、歴史愛好者、いろいろな方々に愛されて いまでは「春秋の浪花の風物詩」となって多くの人たちで賑わっています。平成19年から「古書あじあ號」と店名を変更。今夜は岡田さんから大阪の古本屋さんたちの心意気、「四天王寺大古本市」へかける思いなど、たっぷりと語っていただきましょう。
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今夜のお客様は「浪花人情紙風船団・座長」、女優、演出家の紅壱子さんです。
紅さんは1953年、大阪福島区のお生まれ。大阪府立港高校、神戸松陰女子学院短期大学を卒業1972年にデビュー。庶民的な役柄を中心に演じ、舞台、映画、テレビ等で欠く事の出来ない存在感を持つ女優として活躍されています。2000年10月、「浪花人情紙風船団」を旗揚げ、第一回公演以来17回にわたり公演を続けられています。1998年には旭堂小南稜(現在の4代目旭堂南稜)さんに入門、旭堂南紅の芸名も持ち、松竹芸能のタレント養成所で講師として後進を指導、松嶋尚美や田口万莉さんら多くの教え子を育ててこられました。2015年1月1日、現在の芸名、紅 壱子(くれない いちこ)に改名。映画、テレビ、舞台に各分野で精力的に活躍。趣味は、車の運転、マージャン、パチンコという紅さん、若い方の社交の場として、ミナミに「スナック・萬が壱」を経営もされています。今夜は、来る4月12日から近鉄アート館で開催される第18回公演「不思議な、な。人情女探偵七変化」のお芝居のご紹介など、個性ある多彩な女優さんとしてますますの活躍が期待される紅さんのパワーをスタジオいっぱいに届けていただきましょう!
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今夜のお客さまは「和太鼓 雅」会長の内田邦子さんです。
今年7月、結成25周年を迎える、寝屋川市に本拠をおく「和太鼓 雅(みやび)」さん。 その始まりは1991年、内田さんのお子さんが通う保育所で、PTAの夏祭りオープニングで太鼓を叩いたことからはじまりました。同じ年の10月、地元の秋祭りでも太鼓を叩いてほしいとの依頼があり集まったのが5人、この5人衆が翌年1992年「和太鼓 雅」を結成しました。アマチュアながら依頼があればどこへでも出かけ、数多くのイベントに出演、1997年「なみはや国体」や「大阪パラリンピックの開会式」で演奏など、数多くの人たちの前で太鼓を叩き続けてきました。残念ながら幻となった「大阪オリンピック2008」、その招致活動にも私設応援団として一役買い、東京新宿へも遠征、「太鼓叩いてどこまでも」という精力的な活動が認められ「第一回なにわ大賞特別賞」を受賞。「大阪には独自の音がない」との思いから内田さんはオリジナル曲づくりをてがけ、淀川をイメージした曲をプロに依頼するなど、大阪の和太鼓集団として活動の幅を広げて来られました。 2001年に、NPO法人雅夢(ガム)を設立、演奏活動とともに取り組んでいた子供たちへの演奏指導も「青少年育成事業」としてさらに活発に取り組んでこられました。2005年、タイ、プーケット・スマトラ島沖地震復興支援コンサート、2006年、中国上海、日中交流の夕べなど海外での公演活動も実施。道頓堀、宗右衛門町、東大阪、地元寝屋川はもちろん、各地のイベントや行事に、食博や水都大阪、大阪府緑化フェスティバル、大阪マラソン応援太鼓、そして災害に見舞われた現地を訪れ復興支援のコンサートなど活躍を続けておられます。 この間、2010年3月には、NHKホールで満員のお客さまを前に17周年コンサートを開催。そして、今年7月に25周年記念コンサートを国立文楽劇場大ホールで開催することになりました。しばらくお仕事の都合で大阪を離れながらも活動をともに支えてきたご主人・正雄さんもいまは大阪へと戻り、ご家族はじめ多くの仲間とともに迎える25周年を前に、その思いをたっぷりと語っていただきましょう。
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