おとなの文化村(914) 玉造・猫間川寄席席亭 小野裕司さん

今夜のお客さまは「玉造・猫間川寄席」席亭小野裕司さんです。

小野さんは1958年(昭和33年)大阪市東成区生まれ、実家はちいさなミシン屋さんでした。人を喜ばせたり笑かしたりするのが大好きで「ちょか」とか「いちびり」とよく言われたボンボンだったそうです。しかし基本的には真面目な性格、化学系の大学へ進学したものの試験管相手の味気ない毎日にウンザリし、自分には合わないと退学。大阪教育大学を受け直して大阪市立小学校の教諭になり、教師は天職だと思い日々楽しく過ごしていましたが5年目に両親が同時に病に倒れ、ミシン屋を継ぐこととなり泣く泣く退職。ミシン屋三代目社長となりました。幸運にも商売は順調で、冷暖房完備の工場・会社事務所・両親と同居するための居宅を一つにしたビルを新築。しかしご両親はそこに住むことなく相次いで亡くなられました。その後も業績は好調だったものの、ビル建設のための借金を返し終わったとたんに受注がなくなりミシン業は廃業。幸い全従業員さんの再就職先が決まったので、思い通りにならない自分の人生を振り返り「これからは自分の好きなことを仕事にして生きていこう」と決心。教師時代に覚えたパソコンで行う計算の仕事を本業とし、ビル1階の工場跡は多目的ホールに改装。大好きなミュージシャンのライブを始めとする面白いイベントを開催し、我が故郷「東成」を勝手に賑やかにしようと決意。2003(平成15)年4月、家業の「サンキューミシン」に因んで「さんくすホール」と名付けた多目的ホールをオープン。ホールは一般貸しの傍ら、フォークシンガーの加川良さんをこけら落としに、以降、大塚まさじさんや有山じゅんじさん、中川イサトさんなど、大阪ゆかりのミュージシャンを中心にライブを年に数回開催。コロナ禍まで順調に続いていました。そして2005年(平成17)年10月、ホール外壁に貼り出していた「加川良さんのライブ告知ポスタ」ーを見て、「こんな所に貸しホールがあるんや」と、落語家の桂文我さんが訪ねて来られました。「自分も以前から地域寄席をやってみたかった」と伝えると意気投合。トントン拍子に話が進み、年明けの2006(平成18)年1月27日に『第1回玉造・猫間川寄席』を開催。寄席の名はかつて近所を流れていて今は暗渠となった『猫間川』に因んで命名。毎月一回、会場設営や運営は奥様とお姉さんとの三人四脚で開催。桂文我さんが出演者と演目を決め、寄席の雰囲気を大切にと必ず生のお囃子が流れています。名ビラは全て元小学校校長先生がボランティアで協力。こうして始まった猫間川寄席は、途中コロナ禍による休演が計12回あったものの現在まで続き、毎回多くのお客様で賑わっています。昨年12月の第228回で満20年を迎え、いつの間にか大阪で開催される地域寄席の中でも最古参となり「第25回なにわ大賞」にも選ばれました。また、口演された落語のネタの数も多く、20年間で1133席が披露され、同じネタを複数の落語家が演じた場合を1と数えた純演目数は735席、735もの違う落語が猫間川寄席で演じられ、桂文我さんも「これだけの落語のネタがかかった落語会は、他にない」と語ります。「20年続いたのは、多くの方々の支えがあったからこそで、私一人では決して続けることは出来なかった。特に妻にはその承諾と協力がなければこの猫間川寄席は始まらなかったので、口に出して伝えたことはないが、本当に感謝している。小さな寄席だが20年続けて来て、ほんの少しだけれど、「東成」が賑やかになったかなと思う。また、大阪と東京にしかない、300年続く大衆・伝統芸能である落語にとっても、落語家さんの芸の披露の場を提供することで少しは貢献できたかな。これからも、体力と気力がもつ限り少しでも長く続けて行きたい!」と語る、席亭小野裕司さん、さあご登場です。

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