音楽880 高石ともや
「日本のフォークを彩ったアーティスト」 5月はアンダーグランド版
4週目は高石ともやを紹介します。
1.思い出の赤いヤッケ
2.受験生ブルース
3.死んだ男の残したものは
高石ともやは1941年、北海道・雨竜生まれ。1960年に立教大学に入学し、その後アメリカのフォークソングを訳して歌いはじめる。1966年、大阪労音フォークソング愛好会のコンサートに出演し、初舞台を踏んだ。同年、秦政明に見出され、各地の労働組合や大学、労音のコンサート、反戦集会などで歌うようになる。
さらにシングル“かごの鳥ブルース”でビクターからデビューを果たし、翌1967年に1stアルバム『想い出の赤いヤッケ 高石友也フォーク・アルバム』をリリース。同じく1967年に秦は高石音楽事務所(のちに音楽者舎と改名)を立ち上げ、その後、同事務所はアングラ・レコード・クラブ(URC)の母体になり、関西フォークやアングラフォークの中心になった。