おとなの文化村(717)  にしきたショパン 近藤修平さん

今夜のお客様は「映画 にしきたショパン」プロデューサー、近藤修平さんです。

近藤さんは昭和35年(1960年)、神戸生まれの宝塚育ち。同志社大学法学部法律学科卒業後、大阪ガスで法人営業を担当、1995年の阪神淡路大震災では復旧作業も経験し、関係会社役員などを務めた後 2018年に早期退職。ふとしたご縁で、研究技術員をしながら週末映画監督として世界の映画祭へチャレンジしてきた女性映画監督の竹本祥乃(よしの)さんの「映画らしい映画」に魅せられ、竹本祥乃初の長編監督作品「にしきたショパン」をプロデュース。この映画は、近藤さんが東日本大震災復興支援作品として執筆、文芸社から出版された小説「マスター先生」がモチーフとなっています。多才、多趣味な近藤さん、イタリアの伝統的な歌唱法であるベルカント歌唱法を学び、関西、四国など数々のオペラにソリストとして出演。今年62 歳で関西二期会ソリストデビューをされる予定です。映画プロデューサー、オペラ歌手、文筆家、喫茶店経営、ビジネスコンサルタント、機械メーカー役員など多くの顔を持ち、ビジネスから文化・芸術まで幅広く活躍。焼酎「萬膳」と、酒場での出会いをこよなく愛していらっしゃいます。昨年3月に公開され世界各国の映画賞を受賞、いまリバイバル上映中の「にしきたショパン」。~奇をてらわない映画らしい映画~とノイリンも大絶賛です。

これに関連する記事

おとなの文化村(716)  奈良県吉野町町長 中井章太さん

今夜のお客様は奈良県吉野町町長、中神木材、山守7代目、中井章太(なかいあきもと)さんです。

中井さんは昭和43年、1968年 奈良県吉野町生まれ。関西大学社会学部を卒業後、5年半、現大和ハウス工業勤務後、家業の林業を継承。山から街まで、川上から川下までを考えた林業経営を模索、吉野林業の再生を目指し、吉野林業の原点である木桶、樽に着眼した「木桶復活プロジェクト」、森林空間を生かした「森林セラピー」、森林整備と地域の活性化を図る「よしの木の駅プロジェクト」、真の木育を目指した「愛・学習机プロジェクト」など、吉野の木や山を通してつながる人と共に、木の町吉野への挑戦を続けてこられました。平成19年、吉野青年会議所理事長、平成21年、吉野町議会議員、平成27年、吉野町議会議長、平成29年、吉野広域行政組合議長をつとめ、令和2年2月吉野町長選に初当選されました。中井さんとは8年半前からご縁があったというノイリン、今夜は久しぶりの中井さんとの再会、さあどんなお話に花が咲くでしょうか?楽しみです!

これに関連する記事

おとなの文化村(715)  異業種交流グループ・50kun 白石忠弘さん

今夜のお客様は「異業種交流グループ・50kun(フィフティクン)」の主宰者、白石忠弘さんです。

白石さんは1963年、愛媛県新居浜市のお生まれ。県立新居浜工業高等学校工業化学科を卒業後、大阪の万代百貨店(現、万代)に入社、日用品担当として京阪・香里園店を皮切りに10年間−勤務。当時18才にして、売り上げ計画−仕入れ−利益管理など入社してすぐに担当を任されていたそうです。29歳で独立、会社名は「あきんど商会」。店舗清掃、結婚式の2次会運営の幹事代行業、企業の新商品・サービスの発表会、展示会運営、お店の販促・集客イベント・メニュー開発など、斬新な取り組みでたくさんの仕事で大いににぎわいました。しかし、いいことばかりは続かず、阪神淡路大震災の影響で仕事のキャンセルがあいつぎ、心も病み、倒産。車のなかでのホームレス生活、無免許運転での拘置所暮らしも経験した白石さん。転機はそこから始まりました。拘置所を出てすぐ高知の坂本龍馬銅像の下で、波の音を聞きながら沈思黙考。考えた結論は「世の中にいいことをしよう」でした。すぐに活動開始。3人の師と仰ぐ先輩たちをはじめ、多くの人たちとの出会いからいまの活動が始まりました。そのお一人が、先月ゲスト出演いただいた「中小機構」の中島康明さん。白石さん、中島さん、もうお一人の3人から始まった交流会が現在まで180回あまり続く異業種交流会の原点でした。ホテルの宴会場でたくさんの人たちが集まる交流会ではなく、少人数でランチをしながら気軽に情報交換。ランチでポンポン話が弾むことから「ランチでポン」と名付けられています。なんといっても、白石忠弘さんのキャラクターがポンの中心。フィフティ君とはどんな人物なのか、最新の「ランチでポン情報」など、さっそくご登場いただきます。

これに関連する記事

WordPress Themes