おとなの文化村(406回) 株式会社アスウェル 黒川哲子さん

今夜のお客さまは「株式会社アスウェル」専務取締役の「黒川哲子」さんです。

黒川さんは昭和22年富田林のお生まれ、富田林高校を卒業後、道修町のシオノギ製薬に勤務されます。そして、昭和45年、ビル管理会社「近畿総合メンテナンス」の前身「近畿化学株式会社」を創業されます。平成22年、社名を現在の「株式会社アスウェル」に変更されました。ご主人、黒川健三さんが代表取締役となり、哲子さんは子育てをしながら社業にまい進。ビルメンテナンス業は当時まだ珍しく、営業がいなくても口コミで仕事がどんどん増えていったといいます。もっとも現在では多くの会社が参入して、競争も厳しくなってきたということです。そんななか、いまから10年あまり前の平成17年、哲子さんが奈良のある神社を訪れてあまりにも荒れ果てた姿をもみたことから「古き良き建物を利用・活用」して次世代に残していく仕事の大切さに気付かれます。その数日後、府の指定有形文化財、泉南郡田尻町の「田尻歴史館」が指定管理者を募集しているというニュースに飛びつき応募。それから10年、さまざまなイベントやウエディングの会場として多くの人たちに利用されてきました。ほかに東大阪市指定文化財「河澄家(かわずみけ)住宅」の指定管理とともに、この4月から大阪のシンボルのひとつ、中之島の「大阪府立図書館」の指定管理者となり新たな展開を計画されているところです。旧い歴史あるものには、多くの人たちの記憶が残っている。それを利活用していくことが「まちづくり」になり、誇りに繋がっていくという黒川専務。今夜はその思いとパワーの源に迫っていきたいと思います。

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おとなの文化村(405回) 故・河島英五さんの奥様、牧子さんと次女の亜奈睦さん

今夜のお客様は故・河島英五さんの奥様、河島牧子さんと次女の河島亜奈睦さんのお二人です。

牧子さんは2001年に急逝された、故・河島英五さんの奥様で1男2女のお母様です。フォークシンガー・河島英五を支えるとともに1995年に英五さんが始められた阪神・淡路大震災復興義援コンサート「復興の詩」、その遺志を継がれて10年間開催されました。
現在は音楽事務所、スロートレインの代表で音楽プロデューサー、また、イタリアンレストランやカフェも手がけていらっしゃいました。亜奈睦さんは1979年大阪生まれ、故・河島英五さんの次女。幼い頃からお父様のステージでバックギターやコーラスで参加され、2000年にはアナム&マキとして『闘え!野良犬』でデビュー。2009年、娘さんを出産された後、ソロアーティストとして再始動。2010年、1st アルバム『まる・まる・はじまる』、2nd アルバム『大人ヤカラ』をリリース。2012年には上海のミュージシャンたちと3rd アルバム『Anam(アナム)』を制作。またライブ活動も2011年から中国、イギリス、フランス、韓国など国内外で精力的に行っていらっしゃいます。昨年は、娘のあいるらさんとの親子デュオ、『かわしまあなむ と あいるら』も本格的に開始。まもなく4月13日、英五さんの歌唱音源と亜奈睦さんによるカバーの2枚組CD、《セルフ・アンド・カバー2016~生きてりゃいいさ~》を発売予定です。

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おとなの文化村(404回) たこ焼きの「くれおーる」専務取締役 加西幸浩さん

今夜のお客様は、株式会社くれおーる 専務取締役の加西幸浩さんです

加西さんは、1981年4月生まれの34歳。高校2年生の時、阪急淡路駅から歩いて15分のところに、お母さんと小さなたこ焼き屋さんをオープン、それが「くれおーる」の創業でした。なかなか売上が伸びませんでしたが、努力を続け1年後には地域で愛される人気店に。 当時の常連さんの勧めもあり、2001年1月、大阪京橋にお店を移転されます。大学在学中の2003年に、専務取締役に就任。店舗展開を進めますが、一番の挑戦は2007年の大型店・道頓堀店の開業でした。2009年9月、有限会社から株式会社へ組織変更昨年2015年2月には、東京1号店となる「くれおーる道玄坂一丁目店」を渋谷道玄坂に開業。 今年2月には、道頓堀松竹角座広場の屋台村をプロデュースを手掛けられます。 そしてこの3月に、東京2号店となる「鉄板焼き、お好み焼きくれおーる新橋店」をオープンと東奔西走の活躍ぶりの加西さん。今夜は、加西さんの事業にかける思いや、これからの夢をたっぷりと語っていただきましょう!

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