おとなの文化村 (012回) ジャズミュージシャン 吉川裕之さん

大阪の老舗ジャズバンドである「サウスサイドジャズバンド」のリーダーで 辣腕イベントプロデユーサーでもある吉川裕之さんです 。

吉川さんは1970年の大阪万博において ジャズクラリネット奏者としてプロデビュー その後アメリカに渡りアメリカ各地でプロ活動を続け 1974年に帰国。帰国後サウスサイドジャズバンドを結成 サウスサイドを日本一ホットなバンドに育てあげると同時に 若手の育成や ジャズを中心にした多くのイベントプロデユースするなど 幅広く活躍している。

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おとなの文化村 (011回) 天満天神繁昌亭 恩田雅和さん

本日9月15日に開業2周年を迎え 連日大入りを続ける大阪の今一番の元気印 大阪の新観光名所、上方落語のメッカ 天満天神繁昌亭の支配人 恩田雅和さんです。

新潟生まれの恩田さん 大学生のとき東京にでますが大病を患い 療養のため故郷新潟に一時帰省。病床のラジオから聞こえてきたのが「落語」以来 落語が人生の友となり 就職で何故か和歌山のラジオ局に入社 番組作りに情熱を傾け落語に人生を捧げることとなります。そして2007年1月、繁昌亭の支配人に就任。毎日が落語の日々を送っています。

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おとなの文化村 (010回) 元プガジャ編集長 村上知彦さん

今週のゲストは 神戸松蔭女子学院大学文学部総合文芸学科講師でマンガ評論家 そして 今週のテーマである伝説の大阪を代表する情報誌「プレイガイドジャーナル」の第5代編集長 村上知彦さんです。

今週は村上さんに70年代から80年代にかけて大阪の若者文化をリードした「プレイガイドジャーナル」いわゆる「プガジャ」を通じてみた当時の大阪の若者文化を語っていただきます。
・まず 「プガジャ」て知ってますか、1971年から1988年まで17年間大阪のカウンターカルチャーをリードした情報誌の草分け的存在後にでてくる「ぴあ」「ウォーカー」「一週間」などといった商業的情報誌とはまったく違う位置にいた雑誌
・次に 村上知彦とは・・マンガ評論家。いしいひさいちとのつながり「萬金超」「ちゃんねるゼロ」など・・・お父さんは世界的アーチスト 紙破りの村上三郎(故人)高校~大学が67年から74年までの いわゆる文化激動の楽しい時代 「ぷがじゃ」と一緒に歩んだ世代。大森一樹は当時の自主制作映画のおともだち
・「ぷがじゃ」を通してみたあの時代を回顧しながらいまの大阪を・・・ ・出版文化を中心に いろんな意味で大阪の文化芸術はどないなる・・・・

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