おとなの文化村(637) 大蔵流狂言方能楽師 網谷正美さん

今夜のお客様は「大蔵流狂言方能楽師」網谷正美さんです。

網谷さんは1947年(昭和22年)京都のお生まれ。1965年、京都大学入学と同時に、狂言研究会に入会して木村正雄さんに師事。1971年、同志社高等学校に勤務、国語の先生として教鞭をとるとともに「能楽養成会けに入会、四世茂山千作に師事。以来41年にわたり二足のわらじを履続け、2012年同志社高等学校・中学校を退職するまで41年間にわたり2足のわらじをはき続けてこられました。1984年に、同門 丸石やすし・松本薫さんらと共に「三笑会」を結成。27年間にわたり、年5回の「狂言三笑会」を開催、2011年のファイナル公演まで131回数を重ねました。現在では各地での公演活動、また京都学生狂言研究会をはじめ、京都・大津・鹿児島に稽古場を持ち、狂言の普及に努めておられます。好きな物:「閑居して不善を為す」こと、嫌いな物:意に染まぬ束縛、尊敬する人:四世茂山千作をはじめとする、存在感のあるすべての役者と語る網谷さん。おとなの文化村では久しぶりのテーマ、狂言師。しばし600年の歴史を持つ笑い、喜劇の世界にいざなっていただきましょう。

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おとなの文化村(636) 街角企画株式会社 山本一馬さん

今夜のお客様はまちづくりコンサルタント、街角企画株式会社代表取締役山本一馬さんです。

山本さんは1972年(昭和47年)三重県四日市市のお生まれ。幼少期に通天閣の近くに引っ越し、大阪府立高津高校から大阪大学に進み環境問題や建築を学び、卒業後は海外に留学して有名建築家になろうと目論み、本を読みあさり、図面を描きながら、大学に泊まり込んでいた4年生の時、阪神淡路大震災に遭遇。在学中に震災復興に携わる中で、人とまちを結びつけるまちづくりこそ大切だと感じ、1997年(平成9年)、大学院終了後、阪神淡路大震災の復興を手がけるコンサルタント会社に就職。その後、2004年(平成16年)街角企画株式会社を設立。この間、大阪、京都を中心に、地域住民や商店街、事業者などのコミュニティが取組むまちづくり活動やにぎわいづくり、防災活動をサポート。来月10月には大阪市中央区が主催する、水辺の魅力と船場の魅力の体験ツアーを、ノイリンもお手伝いしながら開催する予定です。趣味は、ねことスポーツ。年2回の清流でのカヌーと毎月の靱公園でのテニスが理想ですが、現実は、超運動不足で、自宅でも職場でもねこと戯れる日々が続いているという山本さん。今夜は、お家でねこちゃんたちも聞いているでしょうか?

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おとなの文化村(635) クリエィティブプランナー 岡野隆次さん

今夜のお客様はクリエィティブプランナーの岡野隆次さんです。

岡野さんは1951年大阪市のお生まれ。小学生時代、友達が描いた絵を見てショックを受けクリエィティブな仕事についた岡野さんですが、堺市体育大会 走り幅跳び準優勝、中学生時代は野球部2年生の時、大阪府大会ベスト8などスポーツも得意でした。堺市立工業高校工芸科時代、180度転換し美術部に入部。広告業界に憧れながら東京文化に親しむ学生時代を過ごしました。1974年 武蔵野美術短期大学商業デザイン科卒業、同専攻科へ。卒業後広告代理店の仕事に就き、株式会社大広 クリエイティブ局ディレクター~アカウント・プロデューサー職で2016年退職、現在はフリーランスのクリエイティブ プランナーとして独立されています。IGAMONOブランド 認定委員会審査員をつとめ、創造社デザイン専門学校 非常勤講師として活躍されています。THE BEATLSにあこがれ、中学時代バンドを結成。ジョンレノンと軽井沢で出会い友達になったという岡野さん。今夜はいま専門学校で取り組む「大阪西成区の商店街活性化プロジェクト」はじめ、長く広告業界に関わってこられた体験談などを伺っていきます。

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