おとなの文化村 (113回) 堺市在住作曲家 武田圭史さん

大阪府堺市にお住まいの市井の作曲家「日本交響楽運動」の父として、黎明・発展期の洋楽界を切り開いた作曲家・山田耕筰の最晩年の弟子である武田圭史さんです

武田さんは1936年岐阜県のお生まれの74歳。東京大学の学生のときに日本の近代音楽界の重鎮である作曲家山田耕筰に師事。2年間、原宿にあった、先生の自宅で、音楽、を初め芸術、宗教、哲学、人生論などを学ぶ。大学を卒業後しばらくのサラーマン生活ののち高校教師となり、同時に作曲活動に入り以降、高校教師を引退後も 市民教養講座講師、大学講師などをしながら作曲活動に従事。仏教歌 叙情歌 演歌 歌謡曲 クラシック歌曲など幅広いジャンルの作品を数多く手がけられている武田さんですがなんと現在までに作曲された曲数はおよそ1300曲あまりとか日本作曲家協会会員として74歳の現在も旺盛な作曲活動を続けておられる武田さんです。今夜はそんな武田さんの人となりにせまってみたいと思います。それでは武田さんよろしく御願いいたします。

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おとなの文化村 (112回) 大阪観光コンベンション協会会長 津田和明さん

今夜のお客様は大阪の魅力を国内外に強くアピールし、観光ビジターやコンベンション誘致を目的として活動されている財団法人大阪観光コンベンション協会会長の津田和明さんです。

津田さんは昭和9年うまれの76歳。昭和32年に 株式会社寿屋(現在のサントリー)に入社。41歳の若さでロンドン支店長に・・そして常務、専務と組織の階段をのぼりつめ、平成7年には取締役副社長に就任。また同時期から財界活動のフィールドにおいても関西経済連合会や関西経済同友会等のメンバーとして活躍。そして平成15年4月 財団法人大阪観光コンベンション協会の発足と同時に会長に就任。現在まで 観光事業の促進を通じて大阪の元気アップに尽力されている津田さんです。今夜は 我が町大阪への熱い思いを語っていただきます。

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おとなの文化村 (111回) 白ハト食品工業株式会社代表取締役 永尾俊一さん

今夜のお客様は江戸時代から伝わる三大女性の好きなものといわれる、イモ タコ ナンキンにこだわった業態の店舗を全国に展開している。白ハト食品工業株式会社代表取締役の 長尾俊一さんです。

永尾さんは 現在の白ハト食品の前身であるアイスクリーム製造業「白ハト食品」の息子として1963年大阪府守口市にお生まれになります。そして大学在学中にKUKURU道頓堀店(現在のたこ家道頓堀くくる本店)を開店。そののち「おいもさんのお店らぽっぽ」「いも屋くろ門」「ちょぼ焼本舗」「CHAIMON」など、江戸時代から伝わる女性の三大好物である“いもたこなんきん”にこだわったブランドを構築。全国の有名百貨店、ターミナル駅ビル、アミューズメント施設などを中心に店舗販売展開を行い、現在は104店舗を数えるまでになりました。第1次産業×(かける)第2次産業×(かける)第3次産業=(は)第6次産業グループであるという長尾さんの理論の具体化を目指して、2000年には農業生産法人『育みの里しろはと』を設立。日本の食料安全保障問題も含め、流通小売業からみたアグリビジネスの将来についての新しい仕組みづくりを手がけ始め、宮崎県都城に 人と自然環境にやさしい農産加工新工場「霧島おいもファクトリー」を建設。お客様・会社・社員・お取引先の「心とお金の満足」を具現化することをグループビジョンに、日本のいもたこなんきんを世界に広めていくことを目標とする長尾さん。そしてなんといっても最近では現在開催中の上海万博にたこ焼「くくる」を出展し、世界中の注目を集めいます。今夜は 世界に向けてのフードビジネスの夢を語っていただきます。

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