さて今夜のお客様は生粋の大阪人で大阪を愛して止まない大阪は日本のハートであると主張し続けておられる四天王寺大学名誉教授の三島佑一先生です。
三島先生は昭和3年(1828年)大阪のど真ん中 、船場は道修町の生薬問屋に生まれます。集英小学校~旧制北野中学~旧制浪速高等学校そして大阪大学付属薬学専門部をへて京都大学文学部国文科をご卒業。 82歳の現在も四天王寺大学名誉教授として週1回の講義を続けていらっしゃいます。また大学での講義の傍ら 生まれ育った地域の文化を後世に伝える「船場大阪を語る会」会長やくすりの道修町資料館道修町ゆかりの人々コーナー企画顧問などわが町大阪にこだわった様々な活動をされています。主な著書としては 「船場道修町薬・商い・学の町」薬の大阪道修町今むかし」 「谷崎潤一郎と大阪」「堀辰雄の実像」「詩集・裏の自画像」歌文集「山河に涙す」 「谷崎・春琴なぞ語り」「昭和の戦争と少年少女の日記」小説「 あの日は再び帰らず」 他多数、そしてこのたび 「大阪オーラ~日本を予見する日本のハート」とタイトルされた一冊を上梓 大阪は日本のハートだ・・と主張される大阪愛にあふれた内容です。今夜は この「大阪オーラ~日本を予見する日本のハート」を中心にすえて 三島先生に大いに大阪について語っていただきましょう。
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さて今夜のお客様は 音楽を通して、「障がいを持つひとと持たないひと」また若者と高齢者の間にある「世代間」という様々なバリアをとりはらいバリアフリーな世界を実現するための音楽コンサートをプロデュースされている、日本音楽ヘルパー協会代表の織畠 匡子 さんです。
織畠さんは福岡県出身。福岡教育大学音楽科卒業。指揮を故安永武一郎さん、ピアノを故岡本喜久子さんに師事し学生時代よりたくさんののイベントやコンサートを企画・構成されてこられました。 そして大阪・寝屋川での主婦生活のなかから様々な音楽サークルがうまれ、平成9年(1997年)11月に開催された「ふれ愛ピック大阪(第33回全国身体障害者スポーツ大会)」に仲間たちと参加し、これが、大規模な最初の音楽ヘルパー活動となりました。そして現在は日本音楽ヘルパー協会代表、そして自らの理想を現実のものとするために作られた「サモックホール」館長として音楽ヘルパーとしてのknow howを次世代へと伝えるために各種講座の講師を務めるなどバリアフリーの世界を具体化するために日々活躍されています。今夜は8月に開催予定のバリアフリーを実現させるための音楽コンサート「2010 そうるミューッジクライブ」のお話を中心に日々の活動についてお話いただきます。
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