「大阪市音楽団」…なぬ?市政改革で…廃止⁉そこで立ち上がったのが宮川彬良さん‼支援の無料演奏会が5月5日にありました…“貴重な音を失ってはいけない”と。
大阪市音の実力は“世界の吹奏楽団でもトップ級”と語る宮川さんとお会いしたのは2003年の春…番組名は「くら蔵1番館」(クラシック音楽溢れる蔵…の意。現在の「おしゃべり音楽マガジンくらこれ!」のルーツ)第1回放送の記念すべきゲストでした。当日、彼は大阪フィルポップスコンサートを終えスタジオに登場。まさに作曲・編曲・指揮・ピアノ・司会(爆笑トーク)と5拍子も揃ったマルチ音楽家(ヨッサンも脱帽)なのです。
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宮川彬良…1961年生まれの51歳。多くのミュージカルナンバーや東京ディズニーランドの音楽、テレビアニメソング、そして彼を有名にしたのは松平健が歌う“マツケンサンバⅡ”。彼のお父さんが、かの“宇宙戦艦ヤマト”や“恋のバカンス”“ウナ・セラ・ディ東京”(ザ・ピーナッツで大ヒット)の作曲家・宮川泰…大阪府立富田林高校卒後、大阪教育大音楽科中退…大阪育ちに、なんだか親近感が沸くでしょ⁉
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さてさて、いつもはモーツァルトやベートーヴェンそれにブラームスやブルックナーといった純生クラシック音楽を演奏し、ポップスも一生懸命に演奏してくれる楽団に彼は語ります。
「プロの、それも由緒ある、朝比奈隆さんが作ったオーケストラですからネ。そりゃ手ごわいじゃないですか⁉日本中のオケの中で1番手ごわい。こっぴどい目に逢った若手指揮者が何人もいるのに、一生懸命演奏してくれた。僕は“舞台音楽家”って名刺に刷り込んでいる舞台の専門家ですから、他のポップス・オーケストラ(ボストン・ポップス、シンシナティ・ポップスなど)との差別化もはからなきゃなんない。で、こう言う風に一生懸命演奏してくれているというのは」と、なんとも興味深いエピソードを披露されたのです!
「音楽やってて、色んな問題、社会問題ってあるじゃない。僕等が(1995年、大阪フィルとポップスを)始めた頃。1番の問題っていうとゴミ問題だった訳。ゴミを少なく少なくしたいなと思ってる。エネルギーを無駄使いしないように。そうしないと、僕らの子供の世代でえらいことになるぞって、思うじゃない」
「音楽家が出来ることは何か!??」と話は続きます。
「僕にとってはネ“すぐに捨てられるような譜面を書かないこと‼”。直接的なんだけど、それが1番分りやすいと思うの。僕が20何段のスコア(総譜)を書いて(写譜屋さんが)1段ずつパート楽器別に写して、1つのパート譜を作って、皆に配る訳。それで“ジャ~ン”って演奏するんだけど、それが次の日には捨てられてしまうような運命のものって、あまりにも多いんですヨ!歌番組の伴奏のこんな量(こんなんって、見えないか)凄い膨大な量のパート譜がドンドン捨てられていく」
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さて、捨てられないための秘策とは⁉
「僕は台本だと思って、それぞれのパートに役目を与えて譜面を書くんです。そうすると役目を与えられた人達は“ここは俺は休みなのか。次のいい台詞を言わせる為にあえて待って、わしゃ、その為に休みがあるんだ”って。(やる気を起こさせ)それで、ハイどうぞ、ドンとくる(演奏する)。そうすると皆一生懸命やってくれるでしょ。そして、それは“よかった”っていう評価になり、“もう1度演奏しましょう”って言われるから、大阪フィルハーモニーの倉庫にちゃんと(ゴミにならずに)保管されているんです」
こんな手作りの共同作業=音楽の灯かりを消してなるものか‼決してイルミネーションじゃありません。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)
「GO!GO!市音」を司会・指揮した宮川彬良さん(5月5日、大阪市野外音楽堂)