前回のナレーションで遂に“織田作之助との結婚という意外な一ページもあった”が出てきました。そして〝お母さんとの二人三脚”が。笹田和子と芸大時代の同期だったシャンソン歌手石井好子さんはこう語ります。
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石井 「天才ですよ!あの人は…それほど他の勉強もしなかったし、本を読んでるっていう人でもないし、ただ、一度あの人が声を出して歌うと情感というのがパーっと入ってる。ま、皆さんもご存知のように織田作之助と結婚したんで、これは不思議なストーリーだと思うの、最も合わない人同士が結婚したと私たち思うんだけど、あの時も〝どうして別れたの?”って聞いたら、〝気が合わないから、(私の考えている)違う人だった”っていってましたけど。
彼女はネ、結婚とかなんとか言う人じゃないんですよ。歌手として生まれて歌手として死んでゆく、全く歌手ひと筋って感じですね。彼女の場合は非常にマザーコンプレックスといいますか、何はともあれお母さん!〝あたし、どうしよう⁉お母さん死んじゃったら”いつもそればっかり心配する人で、パリに(一緒に)行ったときもお母さんお母さん…“あなた40年たっても同じことゆってるじゃないの”だから織田作さんのことも行きがかり上なったと自分でもいってたけど…童女、ほんと歌に生きた童女ですよ」
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〈笹田和子VS織田作之助メモ〉
・笹田和子(1921~2007大阪生まれ)
・織田作之助(1913~1947大阪生まれ…今年生誕100年記念)
・大谷晃一著「織田作之助」(沖積舎)の年譜によると、織田は1945年8月頃、和子に“ホの字”になる。NHK大阪での仕事が取り持った⁉1946年2月18日和子と結婚式を挙げ笹田家に住む。20日に衝突あり…3月末、笹田家を出る。たった数行の中に含まれる男と女の物語はこの本を読むべし。織田作の「夫婦善哉」は必読‼
ナレーター 「天才歌手、名プリマの名を欲しいままに歌に生きた笹田和子。その有り余る才能に神は嫉妬したのかもしれません。癌という試練をお与えになり、なんと25年にも渡る闘病生活を送っているのです。彼女の主治医である大阪北野病院の安藤先生のお話」
安藤 「都合、彼女は5回大きな手術をしていますね。あの人は音楽家だから非常にいつも、目が将来を向いとるんです!後ろ向く人じゃない。オペ(手術)のあと発声をやった!あの人は声がどれぐらい出るか非常に不安で、“どう?この声、前に出てるかな⁉”ゆうて僕の前で“あ~”やってました」
ナレーター 「癌告知問題に関しても笹田さんはこう語っています」
笹田 「そこで先生に聞いた訳ですよ。“先生(癌は)ありましたか⁉ありました”と仰った。その時に隠さないで云って下さいと、死ぬようだったら用意しとかないと、色んなことせにゃいけませんから。勿論、ショックだったけども、あっ、やっぱりきたか!って感じだった」
ナレーター 「彼女にかかっては恐怖の癌も、盲腸の手術ぐらいの大したことではないような印象を受けてしまいます。それはあくまで表面上のことかも知れない。心の底ではそうじゃないかも知れない。我々はさらに質問を重ねました」
笹田 「普通の人やったら地獄やったかも知れないけど、私は地獄と思わない、“めぐみ”として受けてるから、一度もそんな恨んだことない!」
ナレーター 「我々の安易な想像を打ち砕くかのような彼女の言葉。生命を失うことの恐怖に直面して、なお持ち続けるこの明るさ。人生をまっすぐ見つめ、その全てを引きつけようという潔さに、思わず“参りました‼”って感じです」~いよいよフィナーレ。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)
癌とたたかいながら歌い続けた笹田和子さん