191 宝塚歌劇 舞台裏での取材秘話

ヨッサンが取材で通いつめていた“宝塚村”は今では“宝塚シティ?”に様変わり。あの頃…1970年代の第一期ベルバラ(ベルサイユの薔薇)を実体験したヨッサンはなんと幸せ者だろう。鳳蘭、榛名由梨、安奈淳、汀夏子…そうそうたるスター達にインタビュー。現在では考えられないデンスケ担いでの“取材場所”は宝塚ファンにとって垂涎だった。

中でも大正時代に建てられた(木々がからまった館)宝塚歌劇団事務所の3Fにあった練習場、特に大劇場と同じ尺の大きさの1番教室は、華やかであり汗と涙の修羅場⁉だった。

横幅30メートルほどの総ガラス張りの鏡を背に演出家、振り付けなど先生方がズラ~リ机に座ってはる。下手側には長椅子が10幾つ並んで上級生が座り、下級生は廊下側の地べたに横長に坐っている。上下関係がクッキリ。ヨッサンは上級生に混じって長椅子に。風貌が演出家風なのか結構なつかれた。(ある時は愚痴の聞き役、“あの下級生生意気なのよネ…とかなんとか)

さ~て…その熱気をマイクに収めるために演出家の近くに陣取ってマイク2本でダンスシーンを臨場感(ステレオ)豊かに録音していたら“豊かな太ももの列”が眼前に迫ってくる。ド迫力たらありゃしない。収録中に気がついた。演出助手があっちこっち、ちょこまかちょこまか動き回っている。将来の演出家の修行時代なんだろうナ。

公演終了後に即、舞台裏でインタビューも目の毒(いや、良薬)だった。ステージ横にある神棚の下。インタビューの最中はタカラジェンヌの大移動(ここでは書けない出で立ちで楽屋を行ったり来たり)の臨場感をBGMに。収録を終えて楽屋口を出るのが一番嫌だった。ご贔屓のスターさんが出て来るのを今や遅しと待ち受けるファンの大群!そこにニュ~と出てきたヨッサンに冷たい(落胆の)視線がグサリ!矢のように飛んでくる…快感!!?

収録と言えば、昔、歌劇団の近くに“ちどり食堂”があった。ヨッサンはそこのおっちゃん、特におばちゃんに可愛がられた。お土産品やうどん、蕎麦。奥に座敷があって、ここが格好のインタビュー場所に。タカラジェンヌの憩いの(ファンは近づいてはいけない、宝塚音楽学校生や下級生は入ってはいけない)場なのでくつろぎ感溢れるグループインタビューにピッタリ。

こんな体験も…演出家にインタビュー。なんと柔らかな語り口や仕草の(女性的な)先生方の多かったことか!!?ある時、モミアゲの立派なこれぞ日本男児風の先生が向こうからいらっしゃった。“よっしゃ‼今回こそ豪快なお話を聞けるで”と思ったら(とんでもなく優しいやよやかな?口調で)“よろしく~う”…ずり落ちそうなヨッサンだった。

あ、あ、懐かしきかな“宝塚村”を離れて30年後。なんとあの日あの頃、あの汗と涙と熱気の練習場をちょこまかしていた演出助手とご対面したのだ。まぎれもなく“ちょこまか男”は今や飛ぶ鳥を落とす勢いの名演出家になっている…

その名は“小池修一郎”(1955年生まれ)なが~い助手時代を経て1986年一本立ち。以降、宝塚だけでなく外部でも大当たり。ミュージカル「モーツァルト」は出色だ。そんな彼とヨッサンとが赤い糸で結ばれていたとは…??!

*ヨッサンが1970年代にディレクターをしていた大阪音楽大学提供の番組アシスタント(愛称:ハナマルキ…鼻が丸くって可愛い。それにフリルのスカート。憧れは宝塚だった)の妹が…な、なんと小池修一郎さんの奥様なのだ(元、JALのCA)。なんたるご縁。

◎次回は、小池さんがなんでこの世界に入ったのか?ヨッサンが世界のトップ演出家ゼッフィレッリとご対面した話を。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

191mozart

ミュージカル「モーツァルト!」のチラシ

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