我が家にはワンコが4匹、ニャンコが4匹。同居させると想像を絶する事態が起こるであろうから、ニャンコはま隣のマンション803号室に住む上の娘が面倒を見ていますが、ヨッサンには全くなついてくれない。ま、ニャンコは我関せず…そこがまた可愛いもんだ…!!?
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ニャンコといえば都会のゴミ捨て場に集まる様々な猫たちが歌って踊って繰り広げるミュージカル「キャッツ」。産声をあげて今年が30年。1981年にロンドンで初演されブロードウェイでのロングラン。最初はお客さんが戸惑った…“なんや、人間が出てけいへんやん!”…が、しかし、この型破りな演出や振り付け、舞台装置でお客さんを魅了していったのです。
そんな「キャッツ」を日本で火をつけたのが劇団四季。1983年、新宿の仮設劇場で始まり、1985年3月20日から1986年4月30日までは西梅田の仮設劇場で478回の公演がありました。行きはった方、多いのでは?!その大阪公演がひとまず終了した打ち上げの最中に、ヨッサンは劇団四季の代表浅利慶太さんにマイクを向けていました。(これは貴重や!!)
A:浅利 Y:ヨッサン
Y「1年1ヶ月、大阪でロングラン、ひと言で実感を!」
A「やっと大阪に定着できたかなァ。これだけ熱くお客様が迎えて下さるとは。大阪出身の子達が本当に喜んでいる、その顔を見るのが本当に嬉しいです。
Y「大阪のミュージカル、これで花開いたと思われますか?」
A「ハイ。もともと開いているのに、むしろ、我々、(舞台という)畑で働いている者が怠けていたきらいがあります。お客様は豊かな土壌だと思います。」
Y「大阪の街どうですか?」
A「キャッツが当たったせいかもしれませんが、一段と住みやすい感じの、いい街になった様に思いますけど」
Y「“おおきに”」
A「“お~きに”(“き”にアクセントが付く東京風大阪弁)」
以来、浅利さんの言葉通り、あれから四季折々、劇団四季は我々にミュージカルの花を咲かせて、楽しませてくれています。
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その「キャッツ」でデビューを飾り、目に焼きつくマジック猫を演じたのが今や劇団四季の屋台骨を支えるトップダンサー加藤敬二さん。めぐり合わせの妙というか…お父さんもお母さんも、それにお兄さんもマジシャンなんです。
彼は1982年にブロードウェイで「キャッツ」を観てカルチャーショックを受けました。特に心に残ったのは、ミストフェリーズ役の黒いマジック猫。“僕もこの役をやってみたい!”
帰国後、劇団四季のオーディションを受け、倍率40倍もなんのその、合格。驚いたことに入団3ヶ月で、なんとダンスとマジックを繰り広げるミストフェリーズ役を射止めたのです。(出来すぎやおまへんか?)
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あの頃を振り返って「1985年は阪神タイガースが優勝した年。いや~も~ネ、今のキャッツは7000回を越えてますけど(来月には8000回を迎える)あの頃、“黒いテント”でやってたんです。僕達のいい思い出なんですけど、梅田の駅の横の黒いテント…そこに猫の住みかがある、僕達の家(ウチ)がある。公演終わって帰るところがウチではなく、あそこが“自分たちの家(ウチ)”という感覚がありますネ!!」
そしてあの頃「僕、ダンサー出身なんで、歌ったことなかったんです。キャッツの時も、浅利先生から“歌の特訓だ!”と、いつもしごかれていました。それからお芝居も…」
後年、自ら“キャッツ”を振付けた加藤さん…猫の表情やしぐさだけでなく、動物園にあしげく通い“猫科”の動物の爪の出し方、首の動き、牙の出す時の表情を徹底研究…“猫の手も借りたい”ほどの忙しさだった…とか。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)
「キャッツ」でミストフェリーズ役の加藤敬二さん。提供=劇団四季・撮影=山之上雅信