なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(002)
“ 夕陽丘高校に入学できた”。書けば11 文字だけど、この中にとんでもないヨッサンの履歴書の1ページが隠されているのです。それはまさに人生を変えた1年でした。そして、クラシック音楽を愛するようになる原点がここに秘められていようとは…。
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はるか50 年前、住んでいた布施市(現、東大阪市)から、大阪市天王寺区の名門高津中学に越境入学したヨッサン。いよいよ高校受験がやってきました。成績も上昇することなく志望校でないF高校(地元、布施市)を受験するも落ちてしまい、滑り止めの私立U高校へ通う羽目に…。
鉛の靴を履いた気分で通った私立U高校は男だらけの学校。団塊の世代ゆえ、な、なんと16 か17 クラス、1クラスが60 人以上の蛸部屋状態。そこで他の生徒のデキが悪かったのか、配属された進学クラスにヨッサンの人生の選択が待っていた…。
実は、同じクラスに天王寺や高津や…有名進学公立高校を失敗したN君やY君がいたのですが、彼らから腰を抜かす言葉が飛び出したのです。“僕等、来年、もう一度(天王寺、高津…) 受け直すねん!お前もどや”。大英断…親父の給料はあまり多くはない。1年遅れで公立に入った方が学費も安くてすむやん。目指すんやったら…そや! 初恋の女性(ヒト)がおる夕陽丘高や!
以来、U高校に通いながらの“高校受験勉強”が始まったのです。二足の草鞋を履きながら、ホンマ、よ~勉強しました。模擬テストも上昇気運。でも、F高受験で、からっきし歯が立たなかったのが音楽の問題。“この譜面に書かれたクラシックの作曲者は誰でしょうか?”次回も出題されたらどないしょ?
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そこでヨッサンはとんでもないことを考えついたのです。ラジオでオンエアされている「クラシック番組」を全部聴いて、「作曲者」「曲目」「演奏者」「感想」をノートに取っていったろ!受験の為の真剣なメモが日々増えて行きます…中学時代の音楽鑑賞の時間はいつも鼻をくすぐる香水を振り撒きながら胸をユサユサさせたグラマーな先生しか記憶にないほど、毎回“おやすみタイム”だったこのヨッサンが…。
次の年の春、ヨッサンの心は銀杏をフライパンで炒ったようにはしゃぎにはしゃぎました。1年遅れで初恋の女性(ヒト)が通っている夕陽丘高に入学。そして、あのクラシック番組をエアチェックしたノートも1冊、2冊と増えていきます。最初の頃の感想メモ“エエ感じや”から段々と“この指揮者の歌わせ方が実にいい”なんて調子に変わっていきました。
クラシックを聴くことが出来るクラブは何やろ?そや、放送部や!あそこならLPもあるし!自分は、技術(ミキシング) はアカンからアナウンサーや! あの女性(ヒト)のいる合唱部にも入ったろ!“。いつしか、マイクの前で喋るヨッサンとコーラス隊で歌うヨッサンの眩しい姿が。ところがヨッサンはバス・バリトンで主旋律を歌うことはほとんどなし、通奏低音みたいでおもろない…。合唱部の部長に言われました。“君、放送部と合唱部、どっち取るねん?”“ハイ!放送部にします”
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もし高校再受験をせず夕陽丘高に入ってなかったら。合唱部を諦め放送部を取ってなかったら。クラシック音楽の虜になってなかったら。高校の「ランチタイムコンサート」で司会をしていなかったら。名ナレーター武田広さんがFM大阪を断らず、ヨッサンに入社のお鉢が回ってこなかったら、ヨッサンの人生はどうなっていたか…。今もなお、マイクの前でプロとしてお喋りしていたか…ないやろナア!
次回からそんなヨッサンが、その後、音楽を通してお会いした数々の方たちとの秘話を紹介していきまする~。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)
高校の文化祭で、放送部員としてマイクを手に行進(最前列左が吉川さん)