034 ナニワが生んだ喜劇王の名語録 藤山寛美②

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(034)

笑いには色々有りますネ。うすら笑い、せせら笑い、鼻で笑う…はゾットするけど、笑いこける、腹の底から笑うは…そう!笑いは百薬の長。笑う門には福来る、一笑一若って言う諺もあった。笑いによってストレス解消は人生のビタミン剤。そんな栄養を我々に提供してくれるコメディアン(喜劇俳優)コメディエンヌ(喜劇女優)の中でぱっと思い浮かぶのが、渥美清と藤山寛美… それにミヤコ蝶々。エノケン、ロッパ、金語楼、三木のり平、森繁、丹下キヨ子、森光子…って方もいらっしゃるかも。

そんな中で、劇場が笑いに包まれるのが、我らナニワが生んだ喜劇王、藤山寛美さん。もうこの世に寛美さんも中座もないけど、34 年前のあの時が鮮明な想い出となって記憶に残り、インタビュー録音が記録として残っています。そんな寛美さんの名語録。

まずは、東京と大阪のお客様の違いについて。

「此の頃変わらない。テレビができましてからね、薬屋さんにしても、弱電さんにしても、東京はこんなもん売ってて、大阪、こんなもん売るというんでなしに、もうホレ、全国おなじもんをお売りになっている。

(昔)アチャコさんがいらっしゃった時に“アチャコ青春手帳” ちゅうのをおやりになった。森繁さんが“夫婦善哉”をおやりになった。あれが非常に受けた時に、大阪弁が全国に流れた。大阪と東京は、新幹線が出来、近くになりすぎた。

今度は逆にローカル色を出そうとして苦労する。東京へ行ったら、大阪というローカル色を出そうと苦労する。お客さんは、さほど違いないけど、役者のほうで、わざと、その距離を作ろうとしているのは事実ですね。

この頃は、わざと東京の人に分からない言葉を使いますわ。“赤ちゃんの着物”、大阪弁で“ややこのべべ”って言うでしょう。東京の人、何のこっちゃわからんらしいですよ。だから、“わからん言葉” に、何かその、関西の劇団だなぁと言うニュアンスがある。」

さて、日々どんな生活を? 「日課ってねぇ、わりと決まってないんですよ。この座員が今60 人。裏入れてやっぱり、7、80 人。大所帯でしょ。だから1 人に1つずつ何か問題が起きるとしても2ヶ月かかる。80 人て言うと約3ヶ月に近い訳です。みんな家族があるでしょ。やっぱり家にこんなことがありましたからいうて誰かが相談に来ると次の人がまた来る。だから自分の時間ていうの、日課というのが決まってない訳です。

11 時半に芝居があく。これは間違いなし。お芝居が終わる。これも間違いなし。我々の芝居は1ヶ月25 日の働きなんです。そして、僕たちは前月給なんです。契約はありませんしね。僕たちは物品ですから。組合もないし。なぜ物品か…というと、色があせてしまうとしまいなんですよね。だからデパートの商品、ウィンドーに並べてあるハンカチーフ、このネッカチーフいいなぁ。しかし、色があせたら買わないでしょ?俳優も色あせたら、観に来てもらえないということです。だからやっぱり色をあせささないように“色気”で苦労しています(笑)」

おしゃべりに“笑いのエッセンス” をまぶして語る寛美さん。

「厳しく何を教えているちゅうたら、夢を教えているだけのことですわ。既成概念にとらわれるなということ。ただし、人間同士のそのことだけは教えます。人間て言われると、人の下に間と書くでしょ。母親と自分との間を考える。兄弟、姉と、自分の間を考える。俺がこんなことをしたら母親はどう思うだろうかということ。間を考えなかったらあくまでも人ですからね」などなど。

父(寛美)が逝って今年は20 年。彼が残した笑いの文化を、今、娘(直美)が確かに受け継いでくれています。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

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ことし2月の藤山寛美没後20周年公演のチラシ

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