なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(073)
ヨッサンも考えたらよ~け肩書きで呼ばれました…「じちょう」「ぶちょう」(関連会社の)「しゃちょう」(DJアカデミーの)「じむきょくちょう」今でも(財団の)「りじ」(合唱団の)「こもん」とええ肩書きを貰ったけど、勝ち組やと思ったことはありません。ま、ゆうたら「花組」か…
「花が咲こうが咲くまいと、生きていることが花なんだ」(アントニオ猪木はええこと言いはった…ビッシバシ)
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とは言え“勝たなアカン勝たなアカン”と思いながら、先日、世界陸上のTVでコメンテーターの朝原宣治さん(北京五輪・銅メダル)の顔を眺めていたら…ふと、ヨッサンの頭に彼の奥さんである(旧姓)奥野史子さんが浮かんできたのです…それは?!
さあそれでは本日の本題、テーマは“奥野史子さんにまつわるエトセトラ~なんで最初にゆうてくれへんかったんや?!”の巻。
奥野史子…あのバルセロナ五輪のシンクロナイズドスイミング・ソロ・デュエットの銅メダリスト。あの躍動感溢れる、ダイナミックで、それでいて決め細やかなプレイ=演技は、何度も何度もリプレイされTVで映し出されたにもかかわらず、その方程式…オリンピック=シンクロ=銅メダル=奥野史子を全くインプットせず、大笑いしてしまった(=本人には大変失礼な)想い出話が浮かんできたのです。
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あれは1993年のことでした。FM大阪には数え切れない音楽関係者が出入りします。制作会社、音楽事務所、レコード会社、新人歌手からビッグなスター達、タレント…勿論、営業、総務、技術等々、それをリストアップしたら“電話帳が1冊できるんちゃうやろか?!”(大袈裟な!)
その中の制作会社の竹田ディレクターが笑みを振りまきながらやってきました。
“吉川さん!ある女子大生でシンクロやってる娘\sl79\slmult0 こがいましてな、この娘が大会に出るんですけど、その時に演技するクラシック音楽を選曲して欲しいんですワ!!”“お安い御用や竹ちゃん!ホンで、テーマというか、注文あるんかいな??!”
クラシックはトンチンカンな竹ちゃん。
“なんや、スペイン系の音楽で起承転結つけてほしいとか言うてましたワ?”“よっしゃよっしゃ!!”
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次の休日、3000枚のクラシックCDからスペイン系の音楽をまずセレクト。“どうせ、学芸会みたいな大会やろけど、手抜きはしたくないけど、ま、適当に…”と選んだ10曲ばかり――。数日後、竹ちゃんが、その娘のデザイナーとかいうYさんと本人連れてきました。(“えらい、ちっこい、おとなしそうな娘やナァ。ホンマにあのシンクロやるんかいな??!”と呟く)
僕がスタジオで選んだ曲を聴かせる――その娘が“これがいい”“こっちは踊りにくい”とボソリボソリと言う――選んだ曲をカセットに入れる――その娘持って帰る。
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数ヵ月後―――ヨッサンはもうその娘のことも忘れていた頃、竹ちゃんが、宝くじを当てたような狂喜乱舞の声で僕に近づいて来ました。
“よ、吉川さん!!お…おくのが、全日本NHK杯で、ソロ、デュエット、チームプレイで3つとも優勝しました!!”(きょとんとするヨッサン)
果たして…ビデオを見せてもらって、今度はヨッサンがア然!!あの娘がソロで演技しているではないか!!そしてその音楽は…“僕が選んだ曲やないか!!?”
今、ヨッサンの(マイ・フェイバリットを集めた)引き出しを開けると、奥野史子さんから届いた寒中見舞いや年賀状、旅先からの絵葉書、それに記念テレフォンカードが。それに記念のスナップがシンクロのように(躍動するように)飛び込んできます…。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)
今も大切にしている、奥野さんからもらったテレホンカード