047 祝グラミー!名ピアニストの名語録  内田光子①

球春到来!祐ちゃん人気凄いもんや。こういうフィーバーはマスコミのチカラ(仕掛け人、仕業人)が大きい(恐ろしい)。これはクラシックの世界でもありますネ。たとえばブーニン現象…ショパンコンクール優勝はお見事だけど、ヨーロッパでは人気度は蕾膨らむ程度、日本では、さる大御所が“あのピアニストは凄い!”と全国放送でのたまわったからさあ大変‼コンサートはどこもかしこも満開・満員。(20数年前、ヨッサンが所属事務所とギャラ交渉したら“ワンステージ…800万”。“アホか!!?”)

超実力があるけど、かつて不思議なほどに人気がなかった(というか、お客さんの入りがよくなかった)国際的ピアニストが…その人の名は“内田光子”。第53回グラミー賞“インストゥルメンタル・ソリスト演奏賞に輝いた!(ヨッサンに言わせれば、とっくに受賞していてもおかしくないお人や‼)

内田光子…1948年生まれ。“今や世界のウチダ”として世界各国から引く手あまた。なのに1970年代は不遇だった。それも1970年ショパン国際コンクール第2位銀賞(後にも先にも日本人最高位)を引っさげても当時の日本では、まだまだ“西洋音楽は西洋演奏家至上主義”がはびこり、マスコミも不燃性!恥ずかしいことに彼女のピアノリサイタル…厚生年金中ホール(キャパ1100人)、空席が目立っていた…どころか半分以下。ホンマモンのピアニストやで‼(ヨッサンの“怒り”)

忘れもしません。1984年6月28日のお昼時。(プラザ・ホテルのロビー)見事な富士額の彼女が現れました。化粧っけのない(色気がないというか)飾り気のないファッション。“この方が国際的スタープレイヤーなんかいな⁉ホンマに喋ってくれるんかいナ??!”果たして…内田光子さんは熱っぽく語ります…

「私はピアノの趣味的な要素を捨てたのは16歳の時。その時にピアノで生きていく意識はなかった。私はピアニストたるや何かというのを解ってなかった。解ってないというのも分かっていた。解っていないことが分かんないとネ。それは本当に解ってないことなの。なってみないと分からない。

音楽家はなろうと思ってもなれるもんではありません。“役者”にとって、あの人はリア王しか出来ないと言われる事はたまらない事だと思うの。それがどんなに素晴らしい役であってもネ。シェイクスピアしか出来ない役者って考えられないでしょ。だからモーツァルト弾きとは、本当はあり得ないと思うんです」

ウ~ン…この説得力!そこで、ピアノをやっている学生にアドバイスを‼…と尋ねると、

「一般的にピアノをやる人っていう言葉自体に私は抵抗を感じるんです。ピアノをやるんじゃなくて、音楽やってて、その末端としてピアノを弾いているんです。ところが、特に日本の場合、音楽やってるんじゃなくてピアノを弾くと言う事が先決になる場合がある。これは大変な間違いです。自分の1日の時間を割り振りしてみたら、1日の半分はピアノ音楽でない音楽を聴いてなきゃいけないんです。それほど音楽はあるんです…。ですから音楽をまず聴くこと。聴く事が嫌いな人は(ピアノを)弾いてはいけないんです。音楽を聴く耳、聴く楽しさを知らない人は弾くのは間違っています。私はそこまで言い切れると思います。ピアノの場合、総合楽器ですからシンフォニーを知らない、オペラを知らない、室内楽知らないだったら(ピアノを)弾けないです。全く内容的におかしくなります。ですから!それをしないって困るナア‼」

おそれ多いお言葉‼に、ただただひれ伏すヨッサンでありました。16歳の時に何があったかは次回に…。(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

047uchida

第53回グラミー賞を受賞した内田光子さんのCDアルバム・ジャケット

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