親から孫へ…こんな悪法、あんさん(成立をはかった政治家に言いたい‼)あんたの孫やその子孫の代まで引きずられるんやで‼わかっとるんか!!?
(頭に来るヨッサンをいつもモードに切り替えて)
“親亀の背中に子亀を乗せて~…孫亀乗せて”と、その昔、ヨッサンが中学・高校時代にお爺ちゃんがよ~このフレーズをTVを観ながらケラケラ笑ってた。お笑い3人組の“ナンセンストリオ”が忍者の格好でギャグ飛ばしてた!本家本元は“三人奴”(タコやおまへん、三味線漫才トリオ)。このあたりをご存知な方は相当…や??!
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さて、今年も色んな方々にインタビューしたり、ゲストとしてスタジオにお迎えしたけど、あないに“お爺さん”“オバさん”の単語を発したお孫さんは初めてであった。特に“お爺さん”のこと。でも、“お爺さん”の名前を聞いたら“あっと驚く為五郎”(約40年前にあったハナ肇のギャグ)
そのお孫さんの名は“藤山扇治郎”そして“お爺ちゃん”の名は何と“喜劇王・藤山寛美”それに“オバさん”の名は“名女優・藤山直美”。えらいこっちゃ~そんなお爺ちゃんやオバさんの背中に乗って…。兎に角“お爺さん”“オバさん”がよ~く出てきまっせ。
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松竹新喜劇65周年記念の舞台に2013年11月に(子役ではなく)松竹新喜劇の劇団員としてデビューした扇治郎さん。
S:扇治郎
まずは芸名の“扇治郎”について…
S「もともとお爺さんが付けてくれた名前で、父・母は“しょうたろう”と言う名前を考えていたんですけど、急にお爺さんが“命名!扇治郎”って、なんか筆で書いたのを見せられて、最初、両親も“扇治郎って古風やし”嫌だったみたいで、お爺さんに聞くと、扇治郎の“扇”は、父が“白扇流”の小唄の家元をやってまして、白い“扇”で、“治”はお爺さん(藤山寛美)の本名“稲垣寛治”の“治”、で“郎”をつけて“扇治郎”にしたんだと。こういうお仕事させてもらったから、今から思うと“しょうたろう”(肝心の漢字を聞くのを忘れてもた)より“扇治郎”の方が良かったと思います」
それにしても“お爺さん=藤山寛美”“オバさん=藤山直美”これはとんでもないプレッシャーやろなあ。で、小さい頃からやっぱり子役で出てはったのか⁉因縁めいた話をしてくれました。
S「小学校1年の時、歌舞伎座だったんですけど、亡くなられた“18代中村勘三郎(1955~2012)”さんと一緒に出させて頂いた。会社が松竹ですから。それから商業演劇だったり、オバさん(藤山直美)の舞台やら。(子役の)最後に出たのがお爺さんの“藤山寛美・13回忌追善興行”で、お爺さんもされていた“丁稚”っていう役(「春団治」で酒屋の丁稚)それを僕もさせて頂いた。オバさんもその役やっていたので3世代で出して頂いた。その子役に出た最後も“勘三郎”さんと一緒だったんです…18代目と。
これもホントにありがたいというか、お爺さんのお陰で、(今回も)藤山で出して頂けるのも、お爺さん、オバさんのお陰で、先輩に守られているのをつくづく感じますネ‼」
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何回もお爺さん、オバさんの名前が飛び出す扇治郎さん。子役後は高校・大学と学業に専念。…が、
S「将来は舞台人は考えてなかったけど、薄ぼんやりと興味はあったんです。それは、お爺さん、オバさんの楽屋を訪れた時の“におい”に触れたことが忘れられんかった」と語ります。
ヨッサンもTVや生の舞台でお爺さん“藤山寛美”に何度泣かされたことか。
S「喜劇というのは笑いもあるけど涙があるから感動するんや‼」
これから関西の喜劇界の“扇のかなめ”として頑張ってや‼(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)
藤山寛美さんの孫、扇治郎さんと