098 テレビっ子が歌の道へ 錦織健 ②

なにわのヨッサン とっておきの【音楽交遊録】・・・・吉川智明(098

ヨッサンは1980年代から1990年代半ばまで、ぎょうさん結婚式の披露宴の司会をさせてもらいました。(400組くらい??!)ま、いろいろハプニングや不思議発見もありましたっけ…。

“初めに、本日、ご媒酌の労をお取り頂きました〇〇郵便局長〇〇〇様ご夫妻から、挙式ご報告…”とヨッサンがクソ真面目に格調高く宣言します。

媒酌人・新郎・新婦が起立…媒酌人が挨拶…、が、なかなか声が出ない“ア…”“ウ…”20秒、30秒…、緊張しすぎか⁉…遂にバタン‼とホンマ、床に倒れてしまった。…ら、アラアラ…媒酌人の奥様が“本日はおめでとうございます。新郎・新婦は先ほど当郵便貯金会館の…”と、流暢な口調でお話しになっていきます。な、なんと〇〇郵便局長は奥様の方だったのです。旦那を立てれば…倒れてしまったお話し。

あの時も驚いた!

あれは和泉市のある会館。藤原家・高橋家の披露宴。ご媒酌人が藤原さん、ご両家主賓が藤原さんと高橋さん。乾杯の発声が藤原さん。テーブルスピーチも藤原さんか高橋さん。100人以上の座席表を見てビックリ‼ほとんどが藤原さんと高橋さんが占めている。

そうなんです…和泉市は藤原氏の荘園だったことから最も多い性が藤原さん。また中世近世にかけては小領主であった高橋家の支配する領域だったので高橋さんが多い…と教えてもらいました。

さて、今週は前々回の続き…そう、日本のオペラ歌手というより、日本を代表する歌い手さん…錦織健(にしきおり・けん)さん。カッコいい芸名みたいだけど本名。この“錦織”とは…??!

N:錦織健  Y:ヨッサン

N「錦織…島根に多いですネ!“にしこおり”とか言いますけど、関西では“にしごおり”、関東では“にしきおり”ですけど。大陸渡来の帰化人で、その名の通り“錦(にしき…様々な色糸を用いて織り出された絹織物の総称)を織って、その技術を持って来た人を錦織と言ったそうですけど、その系統らしいです。ですから日本海の島根のあたりに多い訳です(大陸に)近かったんで…」

フ~ム、ヨッサンは〝鶴の恩返し”を思い浮かべるのでありました。

そんな、錦織健さんは1960年1月23日生まれ。ちっちゃいころから“TVっ子”。ヨッサンが差し出すマイクに向かって“ひかる~うみ、ひかる~おおぞら…”“てつじん~てつじん~どこへいく~”とエイトマンや鉄人28号の歌を歌いだす…それが音楽との出会いだったとか。

N「中学に入って、ギターを買ってもらったんですヨ!」

Y「ポロン~ポロン~で弾いて歌ったのは⁉」

N「南こうせつさんをネ!(Y「フォークか!!?」)やっぱ、洗礼を受けて“妹~よ…ふすま一枚へだてて…”」(やおら、歌いだす健さん)

Y「こんなに歌うゲスト…初めてや‼」

N「あの頃、人前で歌うようになってきたんです」

Y「クラシックの“クの字”がでてけえへん」

N「そうですね…中学校って合唱コンクールってありますよね⁉(合唱メンバーが不足なので運動部の)男の子を動員してたんです。先生が“君、そ~やって、かぐや姫とか歌ってるけど、そんな歌が好きならコーラスしないかい”それがクラシック系音楽との出会いでした」

Y「なんちゅう先生??」

N「渡辺先生‼」

Y「渡辺先生の、もし一声がなかったら…今日の錦織健はないと」

N「ないですネ(歌手になってなかったら)フリーターとかしているんでしょうネ」

…こうやって、歌への道を歩みはじめた健さんが、〝故郷に錦を飾る”に頑張ったアルバイトとは⁉次回をお楽しみに‼(よしかわ・ともあき FM大阪くらこれ企画プロデューサー)

098nishiki

錦織健さん 撮影=大八木宏武(都恋堂)

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